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獅子の頭噛み問題
他にも、コロナ禍で浮き彫りになった、伊勢大神楽のエッセンシャルな要素のひとつが、「頭噛み」であった。強い力を持つ獅子に頭を噛んでもらうことによって、悪い気を噛み切り、祓ってもらうという風習は伊勢大神楽だけでなく全国に広く見られる。こどもは噛んでもらうと病気にならず、賢く育つと信じられている。また、お年寄りは腰や肩などの痛みをとってもらおうと具体的な体の部位を差し出し、噛み終わるとスッキリした明るい表情になる。
ソーシャルディスタンスの重要性が叫ばれる中、物理的に近づかなければ行えない「頭噛み」をどうするかは、神楽師たちにとって大きな問題である。かつては、一般庶民にとって、獅子や神楽師たちは神聖で、畏れ多く有難い存在であり、その獅子に噛んでもらうことによって、疫病を含むすべての悪事災難が遠ざけられるということが堅く信じられてきた。今ではその神楽師も人間であり、ウイルスに感染することもあり得るという事実を、神楽師たちはもちろんのこと、地域の人々も十分理解している。しかし、人々は神楽師に接するとき、町や駅などですれ違う「他人」と接するときとは全く異なる安心感をもっていることが見受けられる。いまどき、電車のなかで他人が30㎝以内にまで顔を近づけてきたらただならぬ嫌悪感と脅威を覚えるだろう。しかし、多くの回檀先の人々にとって獅子の頭噛みは全く別物だととらえられているようである。神楽師にとっては有難いようで、悩ましい問題だといえる。組によっては、獅子頭を消毒液で拭いてからなるべく短時間で噛むなどの工夫をしているそうだ。
伊勢大神楽はデイサービスなど老人介護施設でも演舞を依頼されることが多いのだが、そこでもやはり頭噛みが大切にされている。認知症のある人たちも、噛んでもらうと、小さい頃の思い出を語り始めたり、これで寿命が延びたと口々に言って喜ぶ。老人ホームでの演舞自体中止になったところが多かったが、野外での演舞のみ行い、頭噛みはなし、というケースも見られた。来年また噛んでもらいましょうね、と介護士さんたちが声がけをする姿を見て、果たしてそれが叶うのかどうかと思うと、煮え切らない思いが残った。
また、本来ならば幼稚園や保育園でも獅子舞を迎えることを毎年恒例の行事としているところが少なくない。地方新聞やローカルテレビでも季節のニュースに取り上げられることが多い光景である。昔はこどもたちは家で獅子舞を迎えていたが、今は親も働きに出ているうえ、新興住宅も増えて伊勢大神楽の存在を知らない人も増えている。そのため、幼稚園・保育園で演舞を披露することは、伊勢大神楽の潜在的な支持層を確保するためには、案外重要な仕事だ、と神楽師たちは語る。いつか彼らが大人になって子育てをし、神楽が来る村に住んだ時、むかし幼稚園で頭を噛んでもらったことを思い出して迎えてほしい、という。2020年3月以降は幼稚園・保育園での演舞もやはり中止になったところが多く、演舞をしたとしても頭噛みは中止というところが多い。物心ついてから小学校に上がる前のこどもたちにとって、獅子の頭噛み体験は「人間の力のおよばない存在」を知り、豊かな想像力を育むのに非常に大きな役割を担っている。早くその機会が戻って来ることを願うばかりだ。