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当日は墓前での獅子舞に続いて、総舞が奉納された。80人以上の観客が本堂の縁側に座って観覧した。神楽師たちにとっても、3月以来の総舞である。バチを高く放って受け取る曲芸がなかなか成功しなかったり、道化のチャリ師による漫才の受け答えも少々ぎこちなく、「何しろ久しぶりでナァ」と苦笑いしていたが、観客は温かく見守った。総舞が終わった後、主催した大宝寺住職、観客、神楽師たちの間には、その時間の尊さを噛みしめるような余韻が残った。ちなみに、山本源太夫組では、そのあと10月まで、大きな総舞は全て中止になったので、今振り返るとこれが本当に数少ない2020年の総舞の1回となった。
マスク問題
「マスク着用は当たり前」という世の中において、伊勢大神楽だけなく、多くの日本の芸能団体が直面する問題がある。それは、マスクと笛のバッティングだ。マスクをしていると笛が吹けない。笛を吹こうと思ったらマスクを外さなければならない。笛がなければ舞はできない。致命的である。また、獅子頭や他の面をかぶるときにもマスクが邪魔になる。二重に着けられないこともないが、息が苦しい。そのうえ、夏は30度を超す野外で長時間歩いたり舞ったりしなければならないため、熱中症のおそれがある。暑さが多少和らいだ9月初旬、私は岡山県と香川県の沿岸地域で回檀に同行したが、マスクをしていると顔面の体温がどんどん上昇し、とても着けていられないことがよくわかった。その辺りは他の芸能団体も同様のことと想像されるが、他人が近くにいないときは外すなどして、「なんとかやりくりする」というのが現状だった。
さらに、調査に出てみて気づいたことがある。神楽を迎える人々の大多数は高齢者なのだが、感染への恐怖などを口にしながらも、マスクを着けていない人が少なくないということであった。そういったお年寄りたちは、ほとんど町へは出かけておらず、家や近所で家族や気心知れた隣人とすごすときにマスクをしないのと同じような感覚で、毎年馴染の神楽師たちを迎えているように見えた。都会の切迫感と田舎のおおらかさが対照的に感じられたのと同時に、高齢者が感染すると死に至る可能性が高いことが繰り返し報道されているなかで、調査者としてそこに立っている自分自身の責任の重さも感じざるを得なかった。しかも、お年寄りはこちらがマスクをしていると、質問を聞き取れないことが多く、結局大声を出したり、マスクを浮かせて話すことになり、罪悪感にかられることも多々あった。一方で、今この人たちの話を書き残しておかないと、地域の歴史や風習について永遠にわからなくなることがある。来年会えるかどうかわからないから、どうにか対策をとってでも、話を聞いておきたいというのが正直な気持ちであった。しかし、こちらのそうした思いを優先して、相手に迷惑をかけてしまう可能性も否めず、非常に悩ましい問題であった。