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パンデミック状況と人文・社会科学
こうして筆者が関係する範囲だけでも研究活動に大きな影響を与えている新型コロナ感染症であるが、今回のパンデミックは文化人類学など人文系の分野の研究者にとっても、新たな状況下で研究を進めていくと上でのさまざまな課題を突き付けているように思われる。
例えば筆者は近年、いわゆるグローバル化やグローバル化に伴う文化の越境や混交・変容など、トランスカルチャー状況下での文化現象に関係する研究を展開してきたが、こうしたテーマにとっても今回のパンデミックは少なからぬ課題を突き付けているように思われる。
そもそもグローバル化の過程においては、概して地域や国家、民族などのローカルな枠組みや境界を越えて人々や文化が流動し越境していく半面で、他方では、新たな境界の形成や(再)強化のトレンドも逆説的に同時進行するという点も指摘されてきた。この指摘を裏付けるかのように、今回のパンデミックはある意味で世界規模での交通や人の移動の産物だと言えるが、逆にパンデミックを契機として、これまでのグローバル化の進展をすべて逆回転させるかのように、再び国境を閉じ各種の境界を(再)強化する動きも顕在化しつつある。
もちろん、これ以上のパンデミック的な状況の悪化を阻止するという観点から、海外渡航禁止をはじめとする各種の移動制限は、不便ではあるものの必要で不可欠な措置であることは明らかである。しかしながら他方では、感染症の拡大への恐怖のあまり外国人や海外帰国者等への忌避感が嵩じて、いわゆるレイシズムや排外主義などに結び付いたような動きも一部で顕在化していることには懸念も感じざるを得ない。
例えば新型コロナ感染症の流行の発端だとされた中国の出身者をはじめとするアジア系住民への差別やヘイトクライムなどが欧米など各地で報道されている。中世のペスト大流行の際にユダヤ人が虐殺されたことをはじめ、未知の疫病の蔓延の際に特定の集団がスケープゴートとされて標的になる例は歴史上で先例に事欠かないが、今回も例外ではなかったようだ。
今回の新型コロナ感染症のパンデミックに際して、感染拡大への恐怖心がレイシズムや排外主義的反応などを促進する傾向に警鐘を鳴らすためにも、各地におけるパンデミックへの社会・文化的なインパクトや反応を冷静に分析し、学術的研究に基づいたメッセージを発信していくことは、文化人類学をはじめ人文・社会系の分野における重要な課題の一つになりうるだろう。