4 / 7ページ
封鎖された都市からの脱出―日本帰国までの顛末
その後、筆者はロックダウン中のフィリピンを出国するのだが、その過程も波乱含みだった。まず宿泊していた場所であるマニラ首都圏のマカティ市から空港まで向かう必要があるのに、ロックダウンでバスやタクシーを含む一切の公共交通機関の運行が禁止されてしまったため、空港まで移動する手段が存在しない、という困った状況に直面した。流石に空港までは重い荷物を持って徒歩で移動するには距離が遠すぎた。
そこで筆者は、以前に利用したことのある知人のタクシー運転手のうち、いわゆる商用のタクシー車両以外に自家用車を所有している者を探し出して、出発日の朝に早めに宿に来てもらい、空港に送ってもらう段取りをなんとか手配をすることができた。
これでようやく一安心だと安堵していたのだが、蓋を開けてみると出発当日の朝の約束の時間になっても、運転手の車がいっこうに迎えに来ないのだった。こちらから運転手に電話しても繋がらないまま時間だけが過ぎていった。焦りながら待っていると、しばらくして運転手から携帯に連絡が入った。聞けば、運転手が住む郊外の居住地域から、筆者の宿のあるマカティ市まで来る途中で、ロックダウンに伴う警察の検問にひっかかってしまったという話だった。迂回路も探したが、郊外からマカティなどマニラ中心部までの道路にはどこも警察や軍の検問がありどうしても筆者の宿に迎えに来れない、ということであった。
このままだと航空機の出発時刻には間に合わず、かといってタクシーなどの公共交通もロックダウンによって禁止されている。刻一刻と航空機の出発時刻が迫り、このまま帰国できなくなる可能性も頭をよぎりはじめたとき、「ダメでもともと」とばかりに宿にいた顔見知りのスタッフに相談することとした。
結果的には、そのスタッフの機転で筆者は助けられた。事情を理解したスタッフは、いわゆるホテル・タクシーなどはロックダウン措置によって使用できないので、スタッフの知人の所有する自家用車を使って空港まで送ってくれるとのことだった。こうして筆者はその車で空港まで向かうこととした。ただし途中で検問に止められたら出国できなくなるリスクも覚悟していた。
その空港までの道中、車窓からふと外を見上げて驚いたことに、普段はスモッグで曇りがちなことが多いマニラの空が、その日は大気も澄み渡り、嘘のように見事な群青色の青空が大きく広がっていた。ロックダウンで自動車の渋滞が解消されたことにより、大気汚染もあっという間に消え去り、どこまでも澄んだ青空が久しぶりに出現していたのだった。パンデミックとそれによるロックダウンで多くの人々が苦しい生活を余儀なくされているなかで、マニラの空は久しぶりに美しい姿を取り戻していることが何とも皮肉な事態だった。
さて、運が良いことに、宿から空港に到着するまでの間に警察や軍による検問も一切なく、筆者は拍子抜けするほどあっけなく空港まで到着した。空港ではロックダウン中のフィリピンを脱出して母国へ帰国しようと急ぐ外国人たちが殺到していたものの、航空会社カウンターでのチェックインや出国審査では幸いにも大きな問題もなく、筆者はなんとか日本へ帰国することができた。