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レバノンは2019年10月から続く政治・経済危機からの出口が見いだせない混乱のさなかに新型コロナウイルス問題に見舞われた。その感染拡大の始まりから2020年5月初頭に帰国するまでの、赴任地ベイルートの状況を概略する。
危機の始まり
レバノンでいつ頃から新型コロナウイルス感染症の問題が騒がれだしたのか、実のところそれほどはっきりとした記憶がない。一つには、年明けから締め切りのある論文の執筆で忙しかったこともある。しかし何より、レバノン国内の政情が慌ただしく、そちらを追うので精いっぱいだったというのが大きいと思う。武漢のウイルスの問題が日本で話題になり始めたのは、レバノンの新首相ハサン・ディアーブの組閣をめぐり各地で連日激しいデモが行われていたのと大体同じ時期であったし、その後も新内閣の経済政策をめぐってデモ隊と警察や軍がたびたび睨みあっていた。そして、勤務先であるJaCMES(AA研の海外拠点である中東研究日本センター)の事務所があるベイルートのダウンタウンはその最前線だったのである。そういうわけで、ふと気がつくと、街中を歩いていて子供から囃しかけられる言葉が、いつのまにか「コロナ!コロナ!」になっていたという塩梅である。とはいえ、レバノンで最初にウイルスの感染確定者が出た2020年2月22日の頃には、この問題は現地のメディアでも盛んに取り上げられるようになっていた。レバノンでは、ウイルスはイラン経由で侵入したと考えられている。このことを受けて、野党で反シリア・イランの立場にあるマロン派右派の政治家サミール・ジャアジャアが、イランからの入国の禁止を要求したため、ウイルス対策は政治問題化してしまった。そしてそのあおりを受けて、3月頭には、当時比較的多くの感染者が出ていた日本は旅客輸送停止の対象国リストに追加され、日本からの出張は次々とキャンセルされていった。また、今年の前半に国内外で予定されていた学会・研究会の中止やオンライン化の連絡も、次第に入るようになった。さらに、学校やバー・レストランも保健相の指示で閉鎖されていった。実のところ、筆者はこの頃になってようやく問題が深刻であることを実感したのである。
レバノンの感染症対策が本格化したのは、3月15日以降である。この日大統領のミシェル・アウンが「公衆衛生上の非常事態」を宣言し、また政府は緊急閣議を開催して2週間の「総動員」令を発動した。これは公共施設などの閉鎖や自宅待機、そして陸海空の国境閉鎖といった措置で、空港は18日から閉鎖されることになるという情報が大使館から通知された。つまり、帰国したければ2、3日のうちにチケットを購入して出て行くように、ということだ。この頃にはレバノンでも連日のように感染者が確認され、何よりイタリアとスペインを中心にヨーロッパで急速に感染が拡大していたから、さほど驚きはなかった。残るか出ていくかという点では、残るという選択で特に迷わなかったと記憶している。急な帰国で研究環境が悪化すること、この時点では日本のほうが深刻な状況に見えたことに加えて、2019年の春先に赴任してからこの方ずっと政治がマヒ状態にあるこの国で、新内閣がウイルス問題にどのように対処していくのか、もう少し見てみたいと考えたためである。なお、「総動員」令はその後繰り返し延長され、この原稿を書いている2020年7月半ばの時点では8月2日まで、若干緩和されながらも継続が予定されている。以下、「総動員」令によって生じた変化を列挙する。
「総動員」令発動後のベイルート
他の多くの国と同様に、「総動員」令によって不要不急の外出は避けるよう要請され、特に3月27日以降夜間は外出禁止とされた。スーパーなどの食料を売る店も、営業時間の短縮を求められていたようである。筆者が住んでいた東ベイルートのアシュラフィーエ地区では、昼間であれば誰何されることなく街中を歩き回ることが可能だった。ただし、都市各地を結ぶバスの営業は停止しており、流しのタクシーも捕まらなかったので、徒歩で移動しづらいときはUberを呼ぶことになった。もともとUberは、ベイルートでは流しのタクシーよりもきれいで安価なのでよく利用していたのだが、コロナ問題が発生してからは何度か嫌な思いをさせられた。というのも、運転手がこちらの顔を見るや、慌ててマスクを着けなおしながら「お前は中国人か」と問いただすような口調で聞いてくることがあったのである。「日本人だがそれがどうかしたか」と言って後部座席(コロナ問題発生後、運転手の隣の席は使用禁止になっていた)に座るのだが、そのあとも陰謀論や偏見を垂れ流したりすることもある。制止しても、自分が差別的な発言をしていることに気づく様子はない。外出規制で道は空いていたから、車内にいる時間はさほど長くはなかったはずだが、気が塞いだ。なお夜間については、買い物もできず外食もできないうえ、SNSでは軍が巡回しているという情報が流れていたため外出を控えた。そのため、どの程度厳しく取り締まりをしていたかはわからない。3月の終わりに一度、事務所で夜まで作業してから自宅まで歩いて帰ってみたことがあるが、都市清掃の人数人を除き誰とも出会わず、ひどく静まり返っていたのを覚えている。その一方で北部の都市では、政府の経済政策に反対する人々が夜間外出禁止を破って通りを集団で歩き警察と対立する様子が、テレビで繰り返し報道されていた。