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しかし、この当時、既に巷では、フィリピン政府が遠くないうちにロックダウン(都市封鎖)を実施するという噂がSNSなどで流通しており、筆者の携帯電話にも真偽不明のさまざまな噂が流れてきた。はたして数日後には、ロックダウンの噂は現実のものだったことが判明した。
ドゥテルテ大統領が率いるフィリピン政府は、3月15日の深夜12時から首都マニラをロックダウン(現地での正式名称は「コミュニティ検疫」Community Quarantine)すると発表した。3月16日以降には、ロックダウン措置はルソン島全域、そしてセブなど首都圏以外の各地にも拡大し、また外出規制の内容も日ごとに厳しくなっていった。この都市封鎖は当初、4月14日までとされていたが、その後、少なくとも4月末日、さらに(一部地域では段階的な緩和措置や修正を伴いながら)5月末まで延長することがアナウンスされた。
このフィリピンにおけるロックダウンは、日本において4月現在実施されている緊急事態宣言による「自粛」ベースの措置に比較して遥かに厳しい措置である。まずタクシーやバス、そして庶民の足であるジプニーと呼ばれる乗り合い自動車を含め、あらゆる公共交通機関は運行禁止とされた。またマニラと域外を結ぶ国内航空便や船便も一斉に運航が停止された。
さらにロックダウン期間中は、スーパーやコンビニ、薬局などの一部の例外を除く店舗の営業は原則として禁止された。企業のオフィスや工場なども一部の業種等を除いて原則、職場への通勤が禁止されている。なお買い物のための必要最小限の外出だけは許可されるが、その場合もバランガイ(地方行政の最小単位)が発行する外出許可書を携帯し、一家のうち外出できるのは1名だけ、外出できる曜日や時間帯も限定、という厳しい規制も課されるようになった。この外出制限令への違反者を警察が逮捕・拘留する例も各地で実際に報告されている。
筆者は以前、ムスリム少数派武装勢力への対抗措置として軍事戒厳令下に置かれたフィリピン南部ミンダナオ島を訪問した経験もあるが、今回のロックダウンに伴う移動制限は、かつての戒厳令を上回る厳しい措置だと言って決して過言ではない。例えば以前の戒厳令下では、ミンダナオ島で各地に検問所はあるものの、バスやジプニーなどの運行は認められていた。しかし今回のロックダウンでは先に述べたように公共交通機関の運行が全面的に禁止されているのだ。
この結果、マニラや周辺地域などでは、文字通りほぼ一夜にして、街の光景は激変することを筆者は実際に目の当たりにした。全面的なロックダウンが導入された翌朝、急遽、航空機の帰国便を早める予約変更の手続きのためにマニラ(マカティ市)の航空会社のオフィスに徒歩で向かった。当時はロックダウンによる通信の途絶などで電話やネットでは埒が空かず、実際にオフィスに行かないと話が進まない状況だったが、もはやタクシーもバスも公共交通は一切が停止しているために、宿からオフィスまでは歩く以外の選択肢は無くなってしまった。仕方なく筆者も、宿泊先から航空会社のオフィスまで歩いていくことにした。その途上、普段は渋滞で悪名高いアヤラ通りを見れば、走る車の数は片手で数えるほどとなり、多くの群衆でごった返していた筈の歩道からもまったく人影が消えていた。
そうした無人の街路の一角で白装束の男が一人で何か作業をしていたのが印象的だった。近寄ってみると彼は、白い防護服と防毒マスクで全身を覆い、背中のタンクから消毒液を街路に散布しているところだった。ゴーストタウン化した都市で黙々と消毒作業に従事するその姿がどこか現実離れしていて、まるでSF映画の世界に自分が迷い込んでしまったかのような奇妙な感覚を覚えた。