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筆者も関係者の一人として3月1日には同シンポの準備のため、マレーシアを経由してインドネシア入りしていた。インドネシアでは、それまで域内では珍しく新型コロナの感染者が確認されていなかったのだが、筆者がインドネシアに入国した翌日の3月2日になって現地で初感染者が出てしまい、警戒感が一気に高まった時期であった。筆者が入国した3月1日時点のジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港でも、以前にはなかった入国時の提出書類に基づく検疫審査や、体温検査などが全ての入国者に対して実施されていた。
そして筆者が入国した翌日の3月2日には、共催者でありカウンターパートであるLIPIから正式に中止の打診があり、開催まで数日というまさにぎりぎりのタイミングであったが、関係者で協議した結果、参加者の安全性を重視して中止するという決断に至った次第である。
ちなみにインドネシアでの初の国内感染者は、日本人経由で感染したものと現地政府から発表されていた。その結果として、現地ではインドネシア在留邦人への感情が悪化し、邦人への接客がレストランで拒否されたり、タクシーの乗車拒否も起きた、などと日本語メディアで後日、報道されている。ただし筆者が滞在した期間中においては、筆者が会った研究者らはもちろんのこと、街で偶然出会ったタクシーの運転手から街中の店の販売員、レストランのウェイターを含め、筆者が接した範囲の人々は、誰もが礼儀正しく親切であり、対日感情の悪化を感じさせるような片鱗は一切なかったことは明記しておきたい。
フィリピンにて―ロックダウンで激変したマニラ
さて、国際シンポジウムが中止になり、インドネシアを後にした筆者は、かねてから予定していた旅程通り、フィールドワークを実施するために3月前半にそのままフィリピンへと移動した。その3月前半の当時は、フィリピンでは新型コロナの感染者の確認事例は通算で約50人前後程度であり、同時期の日本などに比べても相対的にかなり少なかったと言える。こうしたこともあって、その時点では特に日比間での渡航制限等は実施されていなかった(その後、感染拡大に伴う両国政府の規制強化により4月中旬現在では日比間の一般人の渡航は事実上、不可能となっている)。
さて、フィリピンに入国した筆者は、自分の研究テーマであるフィリピン国内の少数派ムスリム(イスラーム教徒)の社会や文化、その身体表現等に関して首都圏での人類学的調査に着手した。その時点では、街ではマスクや消毒液などは入手しづらくなってはいたものの、現地では概ね過去の滞在時と大きく変わった様子はなかった。にショッピングモールやホテルなど主要な建物の入り口では非接触式の体温計で入場者の検温をするなど細かい変化はあったものの、首都圏や周辺のショッピングモールや飲食店も基本的には通常営業を実施していた。そしてマニラ名物(?)の酷い交通渋滞や排気ガスによるスモッグなども相変わらずだった。