5 / 5ページ
7 ボラナとアサラからみるコロナの影響
結局、グミ・ガーヨ開催中も、終了後1ヶ月たっても、ボラナでコロナ蔓延という事態には「公的」にはならなかった。単に視覚化されやすいコロナ重症者や死亡者が出なかったというだけで、軽症者や無症状者は本当はいたのかもしれない。ただ、ボラナの人々の中で、コロナ禍下でのグミ・ガーヨというかなりリスキーな体験をへてもなおコロナはボラナにはやってこなかったと認識され、取り越し苦労だったと苦笑とともに語られる。新型コロナ感染症は、世界各地の特に先進国と呼ばれる国々の社会や経済に極めて大きな影響を与えている。しかしながら、今のところではあるが、エチオピア南部のボラナの社会や文化に対してその根底を揺るがすような影響をもたらしているとはいえない。
エチオピアの中でもアサラなどの都市的空間においてはどうだろうか。コロナ禍が始まってからしばらくして、私の借家の向かいにある小さな商店の幾つかが閉まった。日雇い労働者の仕事が一時期なくなった。公共交通機関がストップした時期は、乗り合いバスの仕事をする若者たちが酒場で仕事がなくなったとぼやいていた。行きつけの飲食店もしばらく閉まっていた。その一方で、食料品を売る商店は売上を伸ばし、靴磨きの若者たちは、相変わらず持ち場で靴を磨き続けていた。コロナ禍がアサラにもたらした変化を強いていうならば、日曜日の早朝の若者たちの路上サッカー大会がなくなったことと通りの物売りたちの商品にマスクと消毒スプレーが加わったことかもしれない。