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3 人々の鬱屈とカタストロフィー
私は二週間に一度ほどの間隔で市場に野菜や果物を買い出しに行く際に外に出る以外は家で仕事をしていた。同じ敷地に暮らす大家一家の家でたまにコーヒーを飲んでおしゃべりする以外は、人に会うことがなくなった。当初、家でじっくりと執筆する時間が与えられて密かに喜んでいたのであるが、2ヶ月もたつと、昨日のような今日、今日のような明日が続いていくことに辟易し始めていた。そんな鬱々を感じ始めたのは私だけではなかったようだ。6月ぐらいになると、各地で、自粛に関する生活の不満とともに、「コロナは存在しない説」、「コロナは政治家による狂言説」が密かに唱えられるようになっていった。だが、コロナに対する警戒感が緩まっていくのとは裏腹に、アディス・アベバでの感染者が爆発的に急増し始めていった。
6月半ば、休講措置を取り、しばらく機能を停止していた大学は、オンライン教育開設のために動きを見せた。私もそのオンライン教育のための教員に対する講習に参加した。しかし、システムを開設したものの、エチオピア全体のインターネットの普及率の低さと学生のパソコン所有率の低さ、さらには、講座学生の名簿の不備という単なる事務方の怠慢によって、今のところオンライン・システムの教育への利用は実現されていない。
6月末、オロモ出身の人気歌手、ハチャール・ウンデーサが何者かによって暗殺された。暗殺された次の日の早朝、私は鳴り響く銃声を聞きながら起きた。その日の午前中は、彼の死への追悼の念と彼の死の裏にある「政治的陰謀」への怒りにわく若者たちのデモと警官との衝突が続いていた。オロミア州の各地で道路封鎖が行われ、デモの影響は数日から一週間ほど続いた。さらに、その日の夕方、オロモ連邦党党首ジョハル・モハマッドと副党首のベケレ・ガルバがエチオピア連邦政府によって逮捕された。その後、インターネットがエチオピア全土で1ヶ月ほど遮断され、オロミア州一帯では逮捕に対するジョハル支持者の抗議デモが警戒されていた。この事件に関連して引き起こされた各地域での集団抗議デモによりコロナの感染は相当広まったはずだが、この時、人々はそんなコロナへの不安よりも、政情におびえていた。
4 ボラナの「グミ・ガーヨ」の断行
7月初め、エチオピアではコロナ禍に次いで政情不安が深刻になっていった。道路封鎖、インターネット遮断、大学は依然として休講状態である。一方で私の研究はなかなか良い感じに進んでいた。二本の論文を書き上げ、学術誌の査読に回した。さらに、この期を利用して、エチオピア南部に居住するボラナの人々の「歴史」に関する本を書き進めていた。論考は、2014年に出版し、無文字社会であったボラナにおける6世紀に及ぶ歴史記憶の生成と継承のメカニズムを解明した拙著の続編である。今度の論考では、ボラナの「歴史」は誰によってなんのために語られ、6世紀にもわたって集団で記憶されるようになったのか?という問いを、彼らの歴史記憶とガダとよばれる年齢階梯制に基づく社会構造、その中での政治実践や権力闘争との相互作用から考察しようとするものである。年齢階梯制とは、年齢や世代に基づいて集団を形成し、通過儀礼を行ないながら、一定の期間ごとに(ボラナにおいては8年ごと)社会的役割や立場を変えていく社会制度のことである。論考は、大体70%ほど書き終わり、残りの記述のためにはさらなるフィールドワークが必要であった。研究上の次の一手を打つ段階にきていたのである。そんな時、ボラナの人々が「グミ・ガーヨ(Gumii-Gaayyoo、ガーヨの地での大会議の意)」を行うことに決定したという「朗報」がやってきた。当初コロナ禍のため、その開催が危ぶまれていたのであるが、ボラナのリーダーたちは8年に一度行われるこの慣習の断行を決定したのである。
コロナ禍があってもなおボラナが断行しようとした「グミ・ガーヨ」という慣習について説明するために、まずはボラナの政治実践について若干言及しなければならない。ボラナには全部で17の氏族が存在し、それぞれリーダーを選出して組織内の揉め事を解決し、相互扶助や水場などの資源の共有を行いながら、自治を行なっている。氏族に加え、ボラナは年齢/世代に基づいてルバとよばれる組織を形成する。ルバ組織は、前述した年齢階梯制と関連しており、8年毎に階梯、いわゆるライフ・ステージを変更しながら付与される社会的役割を全うしていく。このルバ組織が第6番目のガダとよばれるライフ・ステージに達するとボラナ全体に関わる意志決定や紛争解決に責任をもつようになる。グミ・ガーヨとは、ガダ階梯に達したルバ組織の中で選ばれたアドゥラとよばれるリーダー、氏族のリーダー、そしてボラナの人々がガーヨの地に集まって行う大会議のことである。彼らは、1ヶ月ほどの時間をかけて、これまで未解決であった係争や傷害などの人間関係の諸問題について裁定を行う。また、慣習法の再確認とともに、社会の変化に応じた慣習法の撤廃あるいは新たな制定を行って宣言する。

木陰に円形に座る。中心には氏族の役職者が座り彼らを中心に会議が進んでいく。