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5.子供たちの健康が第一!:オンライン講義へのスムーズな移行
ところでベトナムでは、前述したように、幼稚園から大学までの教育機関の多くがロックダウンに先駆けて休校措置をとった。1月後半からすでに通常の旧正月休みに入っていたので、そこから更に休校になったことで、子供たちにとっては思わぬ長期休暇になったようだ。親たちも子供の健康を第一に考えて、この選択には賛成したようだが、その後、教育の遅れや、学費の問題を危惧する意見が少しずつ出はじめると、教育訓練省(文科省)は、自宅でも授業に参加できるオンライン授業への移行を各教育機関に推奨した。そのため、教員たちは大慌てで対応を迫られることになったのだが、それよりも大変だったのは母親たちであった。幼稚園や子供向け英会話教室などでもオンライン授業を取り入れたところがあるようで、落ち着いて座っていられる年齢であればいざ知らず、パソコンの画面の前でじっとしていない子供たちに付き添い、子供に勉強を促すという仕事が一つ増えたのだから、本人の仕事どころではなかったようだ。小学校低学年までの子供を抱える同僚の教員を見ていると、休暇が長くなればなるほどに疲労感が増しているようにみえた。子供を守るのも一苦労である。
日越大学も、本部にあたるベトナム国家大学ハノイ校の指示に基づきオンライン講義になった。システムが導入される以前にオンライン講義への移行の指示が出されたため、混乱が生じるかと思いきや、少なくともわたしの周囲は想像以上にスムーズに対応していた。急な準備を迫られた教員側は、授業をなんとしても継続しなければという使命感に燃え、システムの学習や準備に余念がなかったし、学生たちもまた動揺を見せることなく、その状況にすぐに適応していたようだ。何よりも旧正月休みで地方の実家に帰省していた学生にとっては、実家から授業に参加できることや、その様子を親に直接見せることができてうれしかったらしい。
こうしたオンライン授業へのスムーズな移行は、ベトナムにおけるインターネット環境の充実を改めて確認する出来事となった。日越大学の学生の中には少数ながら地方の山間部に実家のある者もいるためインターネット接続が不安視されたが、特に大きな問題が生じることもなく、科目によってはオンライン筆記試験も無事に終わったことが報告されていた。日本の大学に勤務する知人からは、各大学での様々なドタバタを見聞きしていたので、それから比較すると驚くほど何事もないことに、ベトナムの人々の柔軟性を実感せざるを得なかったし、修士課程の学生のパソコン普及率もある程度計ることができたように思う。
6.ベトナムはCOVID-19に「勝利」できるのか?
最後に、ベトナムはCOVID-19に「勝利」できるのか考えてみたい。日本を含む諸外国の現状と比較してみると、経済よりも国民の命を優先したとされるベトナムの対策は成功と呼べる状況にあると言っても過言ではないだろう。ロックダウンから解放されて久しい2020年9月では、教育機関も通常通りの対面式授業を展開しているし、ハノイ市内でのサービス業の営業もある程度は元に戻りつつあるようで、日常生活での不便さはほとんど感じることはない。何よりも感染者数と死亡者数が圧倒的に少ないことは、ベトナム政府と国民による「総動員体制」のなせる技であろう。しかしながら政府はそれでも、30人以上の集団活動を制限し、宗教的祭礼を含む様々な社会活動は中止させている。こうした背景には、SARSで外国人を含む死者を出してしまった苦い経験や、脆弱な国内の医療体制に対する危機感もさることながら、最大の理由としては国境を接する中国への不信感があることが指摘されている。ベトナムの人々にとって中国は、1000年にわたる支配の歴史や1979年からの中越紛争、そして現在の南沙諸島の問題を抱える、因縁の「兄弟国」である。その中国を感染源と断じるベトナムの人々が今回の新型コロナウィルスに対して楽観的な対応を取るはずがないのだ。そのため今後も中国から発信される情報は疑惑のまなざしで慎重に精査しつつ、両国間の経済活動は落ち着いてから巻き返しを考えればいいというのが現状なのではないだろうか。
他方で、ハノイ市以外の地域では、2020年7月の時点で感染クラスターが発生するなど油断できない状況として現在もなお立ち入り禁止状態が続いている。また全国的には経済低迷により失業率の上昇が無視できない社会問題となっているし、多くの大学生が就職難であることも教員としては看過できない。通常であれば夏休みに入る時期は外国人旅行客でにぎわうハノイの旧市街の街並みは閑散としており、「閉店」のお知らせが貼られた店舗も少なくない。バイクのクラクションが鳴り響き、ベトナムがいつもの賑わいを取り戻すのは、もう少し先のことになりそうだ。
そしてもう一つ。肝心のフィールド・ワークの動向はというと、本格的には実施できていないと言わざるを得ない。新型コロナウィルスの感染拡大が報道されてから、ハノイでは感染者の多い国を中心とした外国人差別が顕著になった。具体的には、タクシーの乗車拒否や居住先からの強制退去などがあったと報告されている。こうした中で外国人であるわたしが宗教施設に出入りし悪目立ちすれば、調査対象者に迷惑をかけることになりかねない。宗教儀礼が政府の指導に基づき休止させられている現状ではなおさらである。翻せばベトナムでの疫病対策儀礼は公式には実施されていないことになるのだが、果たしてそれは本当だろうか。その実情を探るべく調査者魂がウズウズするところではあるが、ここはじっと我慢。まずは新型コロナウィルスの感染が落ち着き、少しでも日常が戻るのを待つことにしよう(なお、10月8日時点でベトナムの感染者数は1099名、死亡者数は35名。出典: WHO Coronavirus Disease (COVID-19) Dashboard. https://covid19.who.int/region/wpro/country/vn)