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4.「わたしたち自宅隔離になるかもしれません……。」
それはロックダウンから遡ること約3週間前の3月7日の出来事だった。その日は、新型コロナウィルス感染拡大防止のために延長された旧正月休暇がようやく明けて、大学では学生の修士論文研究発表ゼミが開かれていた。ゼミには発表者である修士2年の学生のほか、修士1年の学生と関係教員など総勢15名ほどが一つの教室に集まった。もちろん参加者全員がマスクをしていて、間隔を置いて席に座り、対策は万全であった。関係教員の中には、外部の大学や研究所所属の研究者もおり、学生たちは久しぶりの研究発表に奮闘し、ゼミ自体は盛況に終わった。
その日の夜になり、帰宅して自宅でくつろいでいると、ベトナム人同僚のG先生からわたしの携帯電話にメッセージが入った。「伊藤先生、明日からわたしたち自宅隔離になるかもしれません」。G先生の話しによると、外部機関からゼミに参加して下さっていたP先生の上司が新型コロナウィルスに感染し、P先生はその上司と間接的に接触していたために隔離対象になったのだそうだ。その後、日越大学にこのことが通知されると、学内のコロナ対策委員会は、ゼミに参加していた全員をP先生との接触者であるとして自宅隔離を指示したのだった。つまりわたしは、ベトナム社会がロックダウンする前に、隔離を経験することになってしまったのである。まずは学生たちの状況をSNSなどで把握し、全員が元気な様子であることが確認できたので、それ以上の大事にはならずに済みそうだったが、まさか自分自身が早々に感染の可能性を疑われることになろうとは想像もしていなかったため、冷蔵庫の食料は数日分しかない。外出はできない。「さて、どうしようか……」。幸いにも、同僚の教員が近くに住んでいたので、電話で事情を説明し、ひとまず1週間分程度の食材を買ってきてもらうことにした。ただし、同僚との接触は避ける必要があるため、購入した食材は玄関のドア前に置いてもらい、同僚が立ち去った後に受け取ることにした。
今回わたしが経験した自宅隔離は、行政や保健所などの判断によるものではなく、大学内の保健機関による自主的な判断だった。そもそも新型コロナウィルスに感染したP先生の上司はゼミに参加していないし、またP先生自身がその上司と濃厚接触していたわけでもない。あくまで二次接触である。しかしP先生の所属先では、P先生を含む相当数の職員がPCR検査を受けることになり、わたしたちは、P先生の陰性が判明するまでは自宅隔離することになったのであった。結局、自宅隔離から解放されたのは1週間後であった。
ベトナムでは、この頃からこうした組織による自主隔離の動きが起きており、「疑わしきは罰せず」ならぬ「疑わしきは自主隔離」の意識が浸透しつつあった。もちろん行政側も徹底しており、感染者が特定された場合には、その住居や居住するマンションを立ち入り禁止区域としたり、また感染の疑いがある人も含めた人物名をマンション入り口に張り出すなどしたのである。官民揃っての「徹底抗戦」の構えである。その際、感染者や感染疑いのある人の特定のために使用されたのが「F0(エフゼロ)」や「F1(エフワン)」などという用語であった。これはベトナム厚生省による分類法で、感染者をF0として、感染者との濃厚接触者をF1、F1との接触者をF2、というように定めたものである。わたしの事例に即して言うと、P先生はF2、わたしはF3だったというわけだ。様々なニュース媒体がこの用語を用いてコロナ感染の状況を取り上げるようになり、また人びとの話題にも「○○さんのマンションにF1がいるんだって」などの噂話が盛んに飛び交うようになった。いずれにしてもベトナム政府だけではなく、国民(少なくともハノイ市民)自身も感染リスクに敏感になりながら、熱心に対策に取り組もうとしていたことは間違いなく、外国人であるわたしも、(自主隔離を経験しているので当然と言えば当然だが)その一当事者として取り込まれていったのである。