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ポコットの人びととのこうしたつながりの一方、この3年あまりのナイロビ生活のなかで培われた他の民族の人びととのつながりも、わたしにとって大切なものとなっていた。勤務しているセンターの現地職員はもちろん、たとえば、日本人研究者をともなってセンターを訪問するケニア人研究者やケニア人調査助手たち、そして、2011年以来、長年わたしが通っている、古着・青果・生活用品などが売られるナイロビの屋外市場トイ・マーケットで出会う人びと。ケニアの友人・知人、と呼べるこれらの人びとのなかには、ケニアの周縁地域2)に住んでいる人、そしてナイロビのスラム3)に住んでいる人の割合が圧倒的に多かった。
今回の連続エッセイでは、ケニア各地に散らばるわたしの知り合いたちが直面しているコロナ禍の状況にも触れつつ、ポコットの人びと、そしてナイロビのスラムの人びとのコロナへの対し方を中心に紹介したいと思う。
ケニアにコロナがやってきた
フィールドの父との会話がなされた、2020年3月。とうとうケニアにコロナが到来した。
2020年1月に中国・武漢での感染拡大が明らかにされて以降、コロナが世界各地に飛び火する状況を、ナイロビの人びとは固唾をのんで見守っていたと言えよう。2020年1月から2月上旬の段階では、中国人、およびアジア系の外国人に対して、「コロナ」という呼称が投げかけられたり、忌避する事例もあったとも聞く。わたし自身は、いかなる悪意にさらされることもなかったが、とりわけWhatsappなどのSNS上では、中国人へのバッシングが盛んだったらしい。2月28日には、大統領令が発出され、「新型コロナウイルス国家緊急対策委員会(The National Emergency Response Committee on Coronavirus)」が設置された。
ナイロビに住んでいたわたし自身が、コロナの存在を徐々に意識しはじめたのは、2月も中旬になってのことだった。ナイロビの人びとが、とりわけヨーロッパにおける感染の拡大について、いつ、わが国にも到来するのかとざわめき、噂しはじめていたのを覚えている。
ケニアでは、3月上旬から、コロナの疑い症例がいくつか報告されはじめていたため、3月13日(金)に、ケニアにおけるはじめてのコロナ感染が確認されたときにも、ナイロビの人びとに大きな驚きはなかった。スーパーマーケットへ食料品や日用品の買い込みに走った人も少なくなかったが、大混乱があったというほどではない。マスクや手指消毒液(サニタイザー)以外の商品は、品薄にすらなっていなかった。