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最初の感染者が確認された直後の3月15日(日)。ケニアのウフル・ケニヤッタ大統領は、ケニアで最初の感染事例が確認されたこと、そして今後の国の対応を国民に発表した。プライマリー・スクール(小~中学校)、セカンダリー・スクール(高校)の休校が決定され、寄宿学校の生徒たち、大学生たちにも、その週には自宅に帰省するよう指示が出た4)。仕事をしている人びとの在宅勤務が推奨され、現金ではなく、携帯電話の電子マネーや銀行送金を利用するよう呼びかけられた。この対応、とりわけ休校が決定される速さには、驚かされもしたが、ヨーロッパにおける凄惨な感染拡大状況を知るケニア国民には、賛意を示す者が多く、世間はすみやかに大統領の指示に従いはじめたと言えるだろう。
翌3月16日(月)に、上司のセンター長とわたしは、ナイロビ研究連絡センターを閉じ、現地職員4名に自宅待機を指示することに決めた。かれらの月末の給料日を待っていては、状況の展開次第で食料入手が困難になる可能性もある。わたし個人のお金からまとまった額を職員に貸し、2~4週間分ほどの食料・日用品を、その日のうちに購入するよう勧めた。3月上旬以来、わたしが個人的に貯めこみはじめていた、主食となるトウモロコシ粉や砂糖、長期保存牛乳などは、スーパーマーケットへできるだけ行きたくないという職員たちに、求められるがままに売り渡した。事務所備品としてのマスクや手指消毒液(サニタイザー)なども配り、ガソリンや軽油などの車両・発電機の燃料を備蓄した。
その後、感染者数が徐々に増加しはじめるとともに、ケニア政府は、3月下旬から4月上旬にかけて、立て続けに感染封じ込めのための措置を発表する。国際旅客便の運航は停止され、夜間の外出は禁止された。ナイロビ首都圏をはじめとする感染拡大地域の都市間移動が禁止・制限されるとともに、マスク着用、社会的距離の確保が要請され、違反者には罰金や禁固刑を課すことが決定された。
こうした感染封じ込めの措置の発表を、わたしをはじめ多くの「ナイロビの富裕層」は歓迎していたようにみえた。まだ感染がそれほど広がっていないケニアの状況で、確かな封じ込め措置を取ることで、2月から3月にかけてのヨーロッパにおける感染拡大のような、急速な拡がりを防げるのではないか、と考えていたのだ。しかし、こうした政府の封じ込め措置は、当然のごとく、国民生活への充分な支援策を兼ね備えてはいなかった。
次回の記事では、ケニアにおいて人びとの生存そのものが、コロナによってではなく、経済的・暴力的側面から脅かされていた状況を記しておきたい。
※記事一覧サムネイル写真:ケニアの牧畜民ポコットのホストファミリー(稲角暢撮影、2015年3月)
- ^ 学校の先生たちのなかには、生徒を帰宅・帰省させたあとも、学校設備をチェックしたり、報告書を書いたりしている方が少なからずいるようである。ポコットでは、パソコンにアクセスできる町まで出かけて、先生たちは報告書を毎週メールで郡の教育局に提出している、という話を聞いた。かれら公務員は、コロナが広がるなかでも、毎月の給料をもらい続けており、生活は比較的安定していると言える。