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コロナ禍での幼稚園通い
7月中にアーヘンに戻りたかったのは、8月から息子が公立の幼稚園に通うことになっていたからだ。この施設では、4月以降、特別な事情のある家庭を除いて登園を禁止していた期間もあったようだが、7月の夏休み前までには園児たちが戻ってきていた。園児を新たに受け入れる際には、本来であれば入園の8週間前までに契約を結ぶことになっている。契約のためには、園長と直接面会する必要があるため、渡独が遅れていることを理由に息子の受け入れが取り消されてしまうのではないかと心配していたが、異常事態ゆえに柔軟に対応してもらうことができた。7月後半にようやく契約の面談をおこない、8月から通園が始まった。
日本であれ、ドイツであれ、子育ては社会とのつながりを生み出すものだ。外国人としてドイツに暮らすわたしたちにとって、2歳の息子は、異なる社会・言語・文化を学ぶための重要な窓口となっている。たとえば、息子を含む新入園児たちが通園に慣れたころに開催された保護者会では、ドイツ人たちの防疫観を垣間見ることになった。15人の保護者と5人の職員が出席したこの集まりは、十分な間隔をとって椅子が並べられたエントランスでおこなわれた。会場に入る際には、飲食店で食事をするときと同様に、マスクを着け、手の消毒をして、名前・住所・電話番号を用紙に書いた。その後、会の冒頭で、着席すればマスクを外してよい、とアナウンスされると、その場にいる全員がマスクを外した。少しでも立ち上がって移動するときには几帳面にマスクをつけるのだが、ひとたび椅子に座ればマスクを外して普通の声量で会話を始める。まるで座ることによってウイルスを弱体化させることができると思っているかのようだった。慣れない行動様式に驚き、戸惑いながらも、周りと同じようにふるまうしかなかった。
幼稚園での子どもたちの活動にもコロナ禍の影響はあるらしい。日常的なことを挙げれば、歌をうたうことは禁じられ、弁当を持参して近場に出掛ける小遠足もおこなわれていない。保護者が参加するのが慣例となっている行事も大きく制限されている。たとえば、毎年11月11日のザンクト・マーティン祭では、親子が手作りのランタンを持って歌いながら夜道を練り歩くというイベントがおこなわれるが、今年はすでに中止が決まった。その代替案なのか定かではないが、幼稚園近くの高齢者施設の前で、窓越しに子どもたちが寸劇を披露する予定となっている。
第二波のとば口で
この記事は、締切が迫っていた2020年10月28日に一気呵成に書き上げようとしていた。だが、ここまで書き進めていたその日の夕方、幼稚園の保護者のWhatsAppグループに届いた連絡によって、わたしたち家族の生活が新たな変化をこうむることとなった。園児ひとりの感染が確認されたというのだ。この幼稚園では、80人程度の子どもたちが、年齢で分けられた5つのグループに分かれて生活を送っており、保護者の連絡網もこのグループ単位となっている。陽性者確認の連絡を受けた保護者たちは少なからず動揺し、チャットには「どのグループの子が感染したのか」、「いや、子どもたちは複数のグループで一緒に遊ぶこともあるから、感染した子がどのグループかは重要ではない」、「保健所の対応を待っていられないから、明日にでも小児科に行く」、「上の子は小学校に行ってよいのか」といったメッセージが飛び交っていた。夜、園長からのお知らせにより、感染者の症状が出始めた10月23日を始点として2週間、すなわち11月6日まで、幼稚園が閉鎖されることが伝えられた。前の週に幼稚園を休んでいた子を除き、園児と職員は11月6日まで自宅隔離することとなった。直近の2週間は学校の秋休み期間でもあり、休暇に出掛けていた家庭もあったようだ。
春以来の深刻な感染拡大が始まっていることは、すでに周知の事実だった。以前は多くみられた観光客の姿はないとはいえ、街のレストランで向かい合って会話しながら食事をする人々は明らかに増えていた。実際に、一旦は落ち着いたかと思われた感染状況は、その後徐々に悪化し、10月半ばには一日の新規感染者数が4月の水準を超えて連日最多記録を更新している。同じく10月28日、メルケル首相と各州政府との協議の結果、さらなる感染拡大防止措置が講じられることが決まった。11月2日から、ドイツは4週間の部分的なロックダウンに入る。
10月30日、幼稚園の一室で園児たちのPCR検査がおこなわれた。結果は、コロナ警告アプリ(Corona-Warn-App)または専用のウェブサイトで確認できるようになっている。今、落ち着かない気持ちで検査結果を待ちながら、普段は毎日のように外で遊ぶ息子と残りの隔離期間をどうやって過ごせばよいものか思案している。(※追記:本記事の脱稿後、陰性の判定が出た。)