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2020年2月4日から調査のためにペルーに来ていた私は、調査を一段落させ、3月18日に帰国するためにリマのペンションで過ごしていた。突如3月16日からペルーの国内封鎖が実施されることを知り、その前夜に私は後先考えず別の帰国便を即決して、逃げ出すように帰国した。3月以降ペルー国内の感染が急速に広まり、6月には感染爆発の状態になった。
1.はじめに
南米ペルー共和国(以下、ペルー)の北部山岳地域カハマルカ県農村にて、2012年2月から断続的に約28か月間、現地の農民家庭で寝食を共にしてフィールドワークを行った。その後調査の成果を博士論文としてまとめたが、結局、2年近くフィールドから足が遠のいてしまった。そうした現地の農民家族との地理的、時間的距離が埋まるのか分からないまま、2020年2月にフィールド調査を再始動することができた。
以下では、フィールドの農民家族と私との関係を説明したうえで、現地での新型コロナ感染拡大の初期の反応を記述する。そして新型コロナ禍の影響を受けて、ペルー政府が国内封鎖を決めた3月16日の前夜に、逃げ出すかのように飛び出した当時を振り返る。最後に6月23日の新聞記事からペルーの感染状況に簡単に触れ、まとめたいと思う。
2.再びのフィールド調査
16世紀にスペイン人がラテンアメリカを征服する以前は、ペルーにはインカ帝国やそれ以前の数多くの文明が栄えていた。日本人観光客に人気の高いマチュピチュ遺跡やナスカの地上絵などを残した文明である。観光地として有名なペルー南部のクスコでは、今でも多くの先住民が暮らしており、アンデス固有の儀礼や社会組織を維持している。他方、北部のカハマルカ県は先住民と白人の混血であるメスティーソと呼ばれる人が多く、また歴史的に人々が県外へ頻繁に移動していたため近代的な生活を送る農民が多い。特に、同県はスペイン人が持ち込んだ技術と食文化である酪農業が有名であり、多くの農民が生乳や乳製品を販売している。伝統的な農民像とは異なり、彼らは日常的に市場経済と関わり、その経済活動には収入を増やすための単純な収支計算が欠かせない。
私は、2012年8月頃からカハマルカ県山村で本格的な調査を始めた。酪農業を営む農民世帯を調査しようと考えていた私は、先行研究を頼りにペルー国内で活動するNGOのオフィスを訪ねた。山村でチーズ生産技術供与の農村開発を行っている開発支援者たちの助けを借りて、私はいくつかの農民家族と知り合った。彼らは周辺農民から生乳を回収して、自宅の製造所でチーズを生産している。私は、彼らの数世帯をまわって、世帯・家計調査や開発現場での参与観察を行った。彼らは、当初は私を「開発支援者の一員」と勘違いして少し距離のある付き合いをしていたが、1ヶ月ほど経つと、単なる「学生」であるという認識に変わり、私たちは気が置けない関係になった。農民グループのリーダーであるマイコル家族は特に親切にしてくれて、私は度々彼らにインタビュー調査を繰り返したり、彼らの生乳回収やチーズ作りの作業を手伝ったりした。私は、現地の家族とこうした親密な関係を築いたが、結局、博士論文執筆のために2年近くフィールドから遠のくこととなった。