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移動規制、村の閉鎖
私が春節の祝祭ムードの変化を実感したのは春節2日目の1月26日だった。私はホストファミリーと共にD村の親戚を訪ねて新年の食事会に参加していた。昼食後、親戚の一人がスマートフォンを取り出し、SNS上で隣のN村が25日に村を閉鎖したという動画と写真を見せてくれた。しばらくするとD村の公共スピーカーが鳴り、村長が新型コロナウィルスの流行を懸念し、村人の外出規制を検討していること、出稼ぎや学生の帰省者のリストをつくることを通達した。
例年、タイ族は春節初日を自宅で過ごし、2日目以降、親戚や友人を訪問して新年の挨拶を交わす。また、この時期は農閑期であり、在家の上座仏教信者による積徳儀礼や、結婚式、村の仏教寺院の新築儀礼など、様々な祝い事が多く開催される。しかし、今年は数日と経たないうちに、SNS上で率先して結婚式や儀礼を中止するという投稿が見られるようになった。仏教書の朗誦師・創作師であるホストマザーのもとにも儀礼依頼者から延期の連絡や相談が寄せられた。のちに地元政府は、4人以上での集会や飲食の禁止、外出時のマスク着用などの徹底をメディアやSNSを通じて呼び掛け、町や村のあちらこちらに漢語と少数民族の文字、そしてビルマ文字(ミャンマー人の出稼ぎ労働者も多いため)を併記したポスターを貼った。州内外を結ぶ高速道路は封鎖され、州内でも県や市の境では1月26日から厳しい検問が行われた。
N村の閉鎖は自発的な決断だったという。当時、私は村の閉鎖というのは何かの冗談か、政府の指導かと疑ったが、N村の村長たちの危機管理意識は高かった。もちろん村や地区の閉鎖は全国各地で起こっていた。ネットで「封村」などのキーワードで検索すると、様々な報道を見ることができる。初期には武漢市周辺の村などで外からウィルスを持ち込まないようにという防御意識から自主閉鎖が行われ、土砂や丸太、車など、さまざまな物を用いてバリケードが築かれている事例が多く見られた。1月28日の全国向け公式記者会見では、中央の公安トップが、バリケードを構築した道路封鎖は緊急車両の通行を妨げる恐れもあると警鐘を鳴らした。