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また、市民が示した尋常ならざる反発の背後には、モンゴルにおける女性と出産に関わる固有の考えかたがある。モンゴルでは出産後1ヶ月程度、母子はむやみに外出せずに家で過ごすという習慣がある。これは寒冷期にとくに言われることであるが、必ずしも冬期だけでなく夏期を含め年間を通じて妥当する。これには出産直後の母子の体温を生理的な意味で下げるべきではないという考えというだけでなく、出産直後の母子という不安定な存在に対して外気がもたらす影響についての民俗的認識があるようにも思える。それはともかく、件の映像はモンゴルにおいては「出産直後の母子が必要な備えなしに厳寒の外気に強制的にさらされる」というきわめてスキャンダラスなものだったのである。
その後の組閣により、人民党より弱冠40歳のオユンエルデネ首相が選出され、市中感染対策に手を焼くウランバートルでの新政府のコロナ対策に注目が集まった。新首相は、本論の冒頭で触れた旧正月前後でのロックダウン実施と、ウランバートル市における「1戸-1検査」の実施を発表した。「1戸-1検査」はウランバートル市の全戸から1名ずつを抽出してPCR検査を行い、市中感染の状況を把握するというもので、同市における過去最大規模のPCR検査である。筆者の住む住区にも検査用のミニトラックと防護服に身を包んだ検査士たちやってきて、順番にPCR検査を受けた。検査前に簡単に行われた問診をもとに個人情報が小型端末に登録され、検査結果は24時間~48時間以内に携帯電話のショートメッセージで届く(メッセージに検査結果の電子証明書のリンクが貼られている)。PCR検査から検査結果の取得までは実にスムーズなものだった。
さらに新政府は今後の方針としてワクチン接種計画、教育機関における対面授業の段階的解除、約1年のあいだ停止している国際定期航空便の平常化などの緩和政策を発表している。総じて、新政府はこれまでのゼロ・コロナを目指す方針にかわり、ワクチン接種の普及に並行してPCR検査による感染者の把握と部分的ロックダウンにより発生したクラスターを管理するという方針を採っているようだ。
おわりに:モンゴルでの今後のフィールドワーク
筆者は文化人類学を専門としてウランバートルを中心に調査を行なってきたが、研究職を離れている現在では、調査は余暇に行う程度であった。ただ私の調査方法は主に被調査者の家庭に訪問して聞き取りを行うものであるため、コロナ禍以降は感染リスクを考えると調査のため家庭を訪問することは難しい状況となった。さらに市中感染によりロックダウンが実施された2020年11月以降は自宅から出ることすら困難になってしまった。こうしてコロナ禍により私のフィールドワークは実質的に中断状態にある。
他方で、コロナ禍の1年をモンゴルで過ごした経験は、筆者にとってたいへん得難いものであったのも事実だ。コロナ禍により多くの外国人が帰国を余儀なくされ、一年以上にわたりモンゴルで現地調査を実施できない状態にある。そうしたなかで筆者が現地で留まり生活しつづけた経験は、フィールドワーカーとしてはそれ自体が関心の対象となりうるものだ。今後のモンゴルにおける事態の推移は予断を許さないものであるが、コロナ状況下のウランバートルの生活経験をテーマとした新たなフィールドワークの機会があるのではないかと考えている。
最後にモンゴルでのフィールドワーク実施の見込みについて述べたい。今後、国際航空便の定期運行が再開されて日本からの渡航が可能になれば、ロックダウン状況下でもないかぎり、モンゴル国内において対面での調査を制限する特定の規制は2021年2月末日時点では存在していない。だが、大規模な訪問アンケートの実施や特定の場所に多くの人を集めて面接するといった調査は、関係各所への確認や許可取得が必要になっていくかもしれない。それ以外に注意が必要となるのは地方での調査実施である。2021年3月1日よりウランバートルと地方間の交通封鎖が解除され往来が再開したが、ウランバートルから地方に出るには72時間以内のPCR検査による陰性証明が必要となる。これまでの防疫対策をみると、モンゴルでは地方への感染拡大に相当の注意が払われており、いつなんどき交通が封鎖されるかわからない状態である。地方に調査に出る場合には、調査中にウランバートルと地方間の往来ができなくなる、といった不測の事態も想定した調査計画を立てる必要があるだろう。もちろんいつでもマスクは必要になるのでお忘れなく。