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ついに市中感染、相次いだロックダウン
だが11月初旬、ウランバートルにおいて市中感染が確認されると、事態は大きく変化していく。この市中感染はある隔離施設でのガイドラインを逸脱した杜撰な施設管理が原因と報じられ、これまで国を挙げて行われてきた防疫対策の努力を無にするものだとして大きな非難が巻きおこった。11月11日、モンゴル政府は事態を受けて全国に高度警戒体制への移行を発表、いわゆるロックダウンが実施される。ロックダウンの発表会見には大統領・首相・国会議長の三者が揃って現れ、市内には高い緊張感が広がった。
ロックダウンによりウランバートル市内の様子は一変した。市民に対しては、近所の食料品店への買い物以外の目的での外出を自粛するよう呼びかけがなされた。交通量が大幅に減少してがらんとした市中の道路の各所には警察や軍が立ち、市民に外出目的を尋ねる姿が見られた。そのほかにも、市の内外を結ぶ道路の封鎖、教育機関の停止、娯楽施設・イベントの停止、食料品店を除く店舗の営業停止、食品販売価格の便乗値上げの禁止、アルコール販売の禁止、公共交通機関の運行数の限定などの対策が取られた。
ウランバートルにおけるロックダウンはおよそ1ヶ月のあいだ続いたのちに解除された。ところが、このロックダウンが解除されて10日も経たないうちに、ウランバートル市内のバヤンズルフ区病院で50名以上の感染者が確認される大規模クラスターが発生し、ウランバートルは再びロックダウンに入る。この第二次ロックダウンの時点では、政府の対応への不満や非難の声が大きくなっていた。また市民のあいだで緊張感が維持できなくなりはじめ、一部の人びとが規制を守らず市外へ抜け出したり、プライベートなパーティを開いたりしていることが噂になっていた。ロックダウン中、政府・国家特別対策委員会は会見を通じて不要な外出を避け自宅で生活するよう呼びかけるとともに、規則に従わない一部の市民がいることを強い口調で非難するなど、それまで以上にやや威圧的ともいえる姿勢をとっていた。
内閣総辞職とコロナ対策の方針転換
あいつぐロックダウンに市民の不満は確実に高まっていた。そして第二次ロックダウンが解除されたあとの1月19日、国中を揺るがす事件が起こる。きっかけは各メディアで拡散された映像だった。その映像は、出産後にコロナ感染が確認された妊婦を産婦人科病院から指定の感染病センターへと転院させる姿を捉えたものだった。零下20度を下回る外気温のもと、母親と乳児が病院のエントランスから防護服に身を包んだ人間に付き添われた救急車に乗りこんでいく。母親は病院服姿で外套も羽織らず、足元はスリッパ、そしてマスク代わりなのか枕を口元に押しあてていた。
この映像はモンゴル国内で急速に拡散し、非常なショックをもって受け止められた。翌20日から国会議事堂前の広場で国家非常事態委員会を弾劾する抗議デモが開始される。事態を重く見た国家特別事態委員会の委員長と保健大臣は辞任願いを首相に提出する。さらに翌21日にはフレルスフ首相(当時)が内閣総辞職を発表するにいたった。映像が拡散されてからわずか2日のあいだの出来事である。
この急速な事態の展開にはいくつかの理由を挙げることができよう。市民の間ではあいつぐロックダウンに対する不満がたまり、政府・国家非常事態委員会の各種対応への批判や管理組織の末端での不手際が指摘されるようになっていた。件の映像はこうした不満を市民のプロテストへと集約させるだけのインパクトを持っていた。