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事態の急転
3月に入るとベルギーの日本大使館から新規症例数について毎日連絡が届くようになった。しかし人々の危機感はあまりなく、フランス語の授業では先生が「我々の医療水準は世界でも最高レベルだから心配無用」と豪語していた。一方、日本の一斉休校を知った友人の中には、ベルギーも早く厳しい対策を取るべきという意見の人もいた。
3月10日頃になると授業の欠席者が増え、ベルギーでも大学を閉めてオンライン講義に移行すべきだという話が出始めた。13日に大学は急遽完全休講となり、翌週から完全にオンラインに移行することとなった。慌てて大学のオフィスから本や荷物を引き上げ、必需品を買い込み、「今度会うのは夏のバカンスの後かもね」と冗談交じりに友人たちと別れた。晴天の暖かな春の日で街には普通に人がいて、明日から状況が一変するとは信じがたかった。
3月16日ベルギー全国の学校の閉鎖が始まり、翌17日正午からEU域外からの入国制限を開始するという決定が発表された。そして18日からロックダウンが始まった。
事態の急変に伴って留学生は一斉に帰国してしまった。またベルギーの学生たちも帰省してしまい、生活音も聞こえず、夜も真っ暗で心細かった。20時に医療関係者への拍手が聞こえると、近所にも人がいることを確認できて励まされた。幸いなことにスーパーで入場規制が行われることはなく、パスタや米、トイレットペーパーなどの必需品がスーパーの棚から姿を消すこともなかった。
ロックダウン下では、運動や買い出しなどを除き外出が制限され、テレワークが義務化された。また食料品店や薬局などを除く店舗は閉店となった。大学も閉鎖されて特別な許可を得た場合しか入れなくなった。ただし図書館に所蔵されている文献や論文をスキャンして送ってくれるサービスには大いに助けられた。フランス語の授業はメールでの資料送付と宿題の添削に移行し、指導教官ともオンラインでやり取りした。
ロックダウン中は毎日家で研究を続け、週に1度だけ買い物と洗濯のために外出するという生活を送っており、生身の人と触れ合えるのはスーパーのレジで挨拶するときのみだった。コミュニケーション不足を補うため、オンラインでベルギーを含むヨーロッパ各国にいる友達と連絡を取り、励まし合った。
この時期に盛んに呼びかけられていたのは「家にいてください(Restez chez vous)」という言葉である。暖かい平日の真昼間でも街には全く人通りがなかった。
状況の改善
厳しいロックダウンによって徐々に状況は改善した。5月から徐々に規制の解除が始まり、6月8日、ついに飲食店の営業が再開された。6月半ばには、3か月ぶりに友人たちに再会することができた。ただし留学生の友人の大半はすでに帰国しており、ベルギーにいる友達も実家に帰省中でなかなか会うことはできなかった。また大学は依然として自由に立ち入りできなかったため生活が大きく変わることはなく、毎日家で一人研究を続けていた。