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フィールドワーカーとしてできること
1回目の記事の冒頭で説明したように、2020年現在までの3年間あまり、わたしは日本学術振興会(JSPS)ナイロビ研究連絡センターに勤めている。そのため、調査のためにフィールドを訪ねる研究者というよりも、ナイロビ、およびポコットの生活者、という性質をよりつよく持っている。しかし、フィールドの人びとと、ともに住み、食べ、歩き、感情をかよわせあうという、フィールドワーカーとして欠かすことのできない経験は、つねに更新し続けることができている。
そして、現地でのこのような経験を持つわれわれフィールドワーカーが、コロナ感染拡大の時代に自身のフィールドに対してできることは何なのであろうか?それぞれのフィールドワーカーの状況に応じて、さまざまな考え方があるとは思うが、わたし自身は、「1年後、あるいは数年後にフィールドを再訪した際に、自分の行動への後ろめたさなしに、人びととコロナ時代の話をできるかどうかを考えて、いま行動すればよい」と、単純に考えている。
調査地のポコットや、ナイロビのスラムの知人たちに関して言えば、コロナへの感染だけでなく、政府の措置や地域経済の状況が、かれらの生死にかかわってくる可能性が比較的高い。ポコットやトイ・マーケットをいつか再訪した時に、「ああ、あの人はコロナ時代に亡くなったよ」と、知人の死を事後的に知らされる悔しさを想像すると、わたしは堪らない気持ちになってしまう。そのように、心から慕う人びとがわたしにはいる。かれらのことを考えると、スマートフォンにかかってくる電話を毎日取り、あるいは逆に電話をかけて、「最近の様子はどうなの?」と知人たちの個別の状況や考えについて語り合える時間は、わたしにとって何よりも貴重なものなのだと実感するのである。
日本に帰国し、いつフィールドを再訪できるのか、と研究の進捗面から不安に思う研究者の方々は多くいらっしゃると思う。そして、その気持ちの奥底では、「現地の知り合いは大丈夫だろうか?」と心配する気持ちが、みな動いているのだろう。いまの時代、SNSやオンライン通話で、現地の人びとと連絡を取り合っている研究者の方々も多いと聞いている。国際送金も容易となり、2020年のコロナ禍の時期に限らず、非常時には、日本からフィールドへ送金されている方もおられるのかもしれない。
しかし、わたし自身の場合、日本で生活しながらフィールドの人びとと長く感情を共有し続けることは難しかった。日本での人間関係が目の前で進行するかたわら、ケニアの人間関係を駆動し続けることは、心理的に大きなエネルギーを必要とした。高額な国際通話料金や、ポコットの電波の微弱さゆえにオンライン通話が困難であったことも、コミュニケーションの停滞と関係性の希薄化に拍車をかけていたように思う。
直接フィールドには行けないものの、わたしはケニアのおなじ空の下で、政府の政策や気候の変化を、ともに感じとりながら共有できていることに、現在しみじみと感謝している。ポコットの山のなかからでもすぐに電話がかかってきて、毎日少なくとも1時間以上、ときには数時間にもわたり、お互いの抱える問題や不安、幸せな出来事について語り合うことができている。ときには、お金や人の手配、情報の探索に尽力して感謝され、ときには、わたしの家畜の治療や、遠隔的におこなっている小規模な調査のために奔走してもらって感謝を返している。
コロナ禍が広がる状況において、いまもなお、フィールドの人びととの交信を途切らせることなく継続できているわたしは、もしかすると、日本に帰国していた場合と比べて、はるかに幸福な状況に身を置けていると言えるのかもしれない。そう感じつつ、早くフィールドに帰れる日を待ちわびている。
【参照文献】
松田素二
2013「現代世界における人類学的実践の困難と可能性」『文化人類学』第78巻1号:1‐25。
※記事一覧サムネイル写真:ケニア北西部の牧畜民ポコットのホストファミリーと著者(瞿黄祺氏撮影、2019年10月)