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一人あたり座席を2つ占有するべし、という、公共交通機関において人との距離を確保する措置は、実家への帰省の長距離バスでも採用されているというが、それでも他者との近接は避けられない。帰省先の郡によっては、長距離バスで帰省した人びとにPCR検査が施され、陽性の場合には、病院での2週間の隔離が強いられることもあるという。また、陰性であったり、検査できなかったりする場合でも、「帰省者」に向ける人びとのまなざしには厳しいものがあると聞く。田舎には高齢者が多く、死亡率の上昇が懸念されていることも、そのまなざしの厳しさに拍車をかけているそうだ。
ケニアの周縁地域においては、コロナの検査ができる体制はほとんど整っていない5)。熱や咳などの症状が出たら、地元の診療所へ行って熱を測ってもらい、マラリアや腸チフスの検査をしてもらい、そして通常の風邪と同様の処方をしてもらうしかないのである。半年後すら、ポコットの町に検査体制が届きうるかどうか、わたしは疑わしく思っている。そして、ケニアの多くの地域では、植物の根や皮、枝や葉などを煎じた「伝統薬」が盛んに服用されており、その有効性の方が体感されているため、診療所にすら来ない、という事例の方が多い。たとえば、ポコットの診療所では、コロナ感染者と出会う可能性を恐れている人は、ほとんどいない。そうではなく、そもそも「自分がコロナに感染した可能性がある」とは、微塵にも思っていない(場合によっては、そう思いたくない)人びとが圧倒的に多いのである。
一方、ナイロビをはじめとする「感染拡大地域」では、求めれば、病院での有料の検査で、あるいはスラムに設置されている無料検査場などでのPCR検査を受けることができる。在ケニア日本国大使館からの6月下旬の案内によると、個人宅を訪問してPCR検査をしてくれる民間検査機関もあるという。検査をして自分が陽性であれば、自身の隔離や治療につながり、さらに濃厚接触者の特定や追跡へとつながりうるわけだが、この点について、ナイロビのスラムの人びとは、実は価値をほとんど見出していないようだ。
ナイロビのスラムの人びとだけでなく、地方の都市部の人にとっても、PCR検査をすることそのものが社会関係上のリスクをはらんでいると聞く。隣人たちからの疑いの目や、直接的な攻撃対象になる可能性があるからだ。そのため、かれらは「自分はコロナではない」と祈りながら、薬局や診療所で処方される対症療法の薬を飲んで、自宅で静養することを選ぼうとする。
このようなケニアの状況では、コロナ感染の拡大はしばらくおさまることはないだろう。ケニア政府は、感染拡大のピークを9月に設定しているが、いまのケニアは「みんな感染して、亡くなる者は亡くなり、生き残った者だけでなんとかやっていく」という状況へと突入していっているのかもしれない。世界中で開発が急がれている治療薬もワクチンも、ケニアの庶民の手元に届くまで、どれだけの時間がかかることだろうか。このような状況のなかでは、ケニア国民の多くは、自分が感染しても重症化しないように祈る、あるいは賭けるしかないわけである。
その祈り、あるいは賭けの唯一のよりどころは、ケニアをはじめとする、アフリカ諸国で現在までに発表されている死亡率の低さであろうか。高齢者が少ない人口構成、検査体制が行き届いていないことなど、さまざまな要素が関係しているものと思われるが、こうしたよりどころを根拠に、人びとは「自分は大丈夫」とみなして、通常どおりに行動し、ほんとうに大丈夫であることを信じるしかないのかもしれない。2020年7月、ケニアにおける感染が急速に拡大している状況において、わたしはそう感じているところである。
- ^ この段落の内容は、主に、カジアド郡、トランス・ンゾイア郡、トゥルカナ郡、そしてバリンゴ郡の知人たちからの聞き取りによる。