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ケニアの周縁地域における学校教育の弊害3)を、わたしは2011年の調査開始当初から感じているのだが、この2020年のように、子どもたちが強制的に学校教育から離脱させられるという状況は、めったにない貴重な子どもの成長機会として利用すべきだと考えている。これまで学校教育に浸かってきたことで、地域の生業や、「伝統的な文化」に触れる機会が限られていた子どもたちが、少なくともこれから半年間は、「伝統」にどっぷり身をゆだねることになるこの機会を、ポコットの牧畜民の多くも歓迎しているという。
たとえば、ポコットのホストファミリーの9歳の少年は、休校となった3月以来、300頭ほどのヤギ・ヒツジの群れを、父の第6夫人とともに、山をまたいで毎日放牧している。放牧地の自然の変化、家畜との絆、放牧中に出会う人びととの交流など、この2020年の長期継続的な経験で得られる知識、感性、その蓄積のすべては、今後のかれの人生の「伝統」理解の根幹を支える宝になるように思うのである。
今後のコロナ拡大への懸念と、各地の医療体制の現状
2020年3月から始まったケニア政府による、コロナ封じ込め措置は、2ヵ月あまりを経て、6月から徐々に緩和されはじめている。6月上旬には夜間外出禁止時間が短縮され、7月上旬には、都市間移動制限の解除とともに、8月からの国際旅客便の再開が宣言された。一方、高校以下の学校の休校は、2020年の年末まで続くこととなり、全国の学童は1年留年することが決定した4)。
こうした措置の緩和を受け、7月上旬から中旬にかけて、ナイロビをはじめとする都市に住む人びとが、田舎の実家へ帰省するラッシュがはじまった。主に、都市で職を失った人びと、そして、都会の狭い区画に閉じこもって学校再開の動向をうかがっていた子どもたちなどが、通常の2倍にもなる交通費をなんとかやりくりして、田舎に帰省し始めたのだ。田舎の実家では、実家の生業に従事する者、都市生活を離れ、ストレスなく人との距離を保てる日常を謳歌する者など、過ごし方はさまざまなようであった。
これらの措置の緩和が、これまでの行動抑制の苦しみから人びとを解放する、という側面は少なからずある。しかし一方で、7月下旬現在、ケニアで毎日確認される新規感染者の数は、6月下旬と比べて4~8倍程度にまで膨れ上がっており、都市間移動の解禁によって、全国の新規感染者の数は今後爆発的に増える可能性がある。これまで感染者がいなかったとされるバリンゴ郡にも、確実にコロナの感染は(公にも)届くに違いない。
- ^ ケニアの周縁地域で、学校への早期入学と通学が絶対的善とされると、その地域の生業の経験や、「伝統」社会への敬意が育つ前に、子どもたちは学校へ入れられる。そして、「グローバルな世界に通用する知識・価値観・身の処し方」に全身を染めあげられていくのだ。雇用が確保され、その後の人生が「伝統」との接触なしに続くのであれば、それでも構わないのかもしれない。しかし、人生の幸福を「伝統」を含む複数の価値基準の「範列的操作」[松田 2013]によって達成しうるようなポコット社会においては、早くから強制的に学校教育に染め上げられてしまうと、就職して「伝統」から離脱することもできないのに、一方で地域社会の規範や価値観、行事などにも溶け込めない中途半端な存在に成長してしまうことが多い。学校教育によって、人生の選択の幅が逆に狭まり、結果的に不幸な状況に陥っている人の事例が多いように、個人的な観察からは思われるのである。
- ^ 大学については、各校個別の状況に応じて、判断が下されるようである。