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食料確保への模索(ナイロビの知人たちの場合)
ポコットへの食料供給の手配を済ませた後、次に目が向いたのは、ナイロビのスラムに住む知人たちの感染リスクと経済状況であった。わたしの知り合いの多くは、インフォーマルな客商売をしており、2011年頃から、わたしはかれらの客の一人であった。食堂や床屋(髪結い屋)、衣類・鞄・携帯電話・生活用品などの販売店・修理店、八百屋さんもいれば、手作りポテトチップス屋さんもいた。もともとの収入も多くはないかれらだったが、客の減少、感染リスクや夜間外出禁止ゆえの時短労働、あるいは自宅での蟄居などが原因となり、業種にもよるが、かれらの収入はおよそ激減していたと言える。さらに、かれらの家族、友人、隣人のなかには、失業したり、商売をたたんだりして、わたしの知人たちの収入や貯蓄に頼らざるをえない者が少なからずいた。
わたしの知人の多くは商売人であり、スラムの人びとのなかではどちらかというと収入が安定している部類に入ると言える。とはいえ、そのなかには、切り崩せる貯蓄がない人びと、あるいは頼ってくる縁者が多い人びともいる。わたしは、2020年3月下旬に知人たちにひととおり電話をかけ、それぞれの状況を確認し、その状況によってはわたしの方から申し出て、いくらかのお金を送金した。なかには、わたしの申し出に、「まだ大丈夫だから、大変になったらお願いする」と言う人や、「自分は大丈夫だが、家族や知人が困難を極めているから、そのお金をそちらに回してもいいか?」と聞く人もいた2)。
スラムにおけるコロナの感染拡大速度は、7月現在もいまだに正確には把握されていない。3月当時は、危機度を判断するための情報はさらに少なく、その後の状況も読めなかった。当時のわたしは、知人たちが食料にアクセスできる機会がのちのち限られてしまった場合、かれらが感染のリスクを負いながら、人ごみに揉まれなければならなくなるくらいであれば、たとえ人を区別することになろうとも、わたしの知り合いたちには「すぐに」食料を確保するための選択肢を呈示しておきたかったのである。
これらの送金はナイロビの知人に対するおそらく初めての「金銭の贈与」であり、わたしたちの関係性に幾分か影響を与えたことが想像される。しかし、少なくとも7月現在の時点では、このときの送金をわたしは後悔していない。これらの送金によって、わたしの知人や、そのまた知人たちは「3月、4月時点でのスラムの状況」と「感染拡大の経過」を、余裕をもって観察する猶予をわずかにえられた。当時、政府からの支援が期待できないなか、政治家や教会組織、NGOなどによる支援食料が届きはじめていたのだが、初期の支援食料配給の現場は混乱を極めた。列をなした人びとが揉み合いになったり、社会的距離を保てていない人びとの列に対して、警察が介入したりしていた。また、買い物帰りの人の食料や所持品が、ひったくり強盗に狙われることもあったそうである。このような「混乱」に、わたしの知人が晒されるリスクは、わたしの早めの送金によって少しは軽減されたのではないか、と(知人たちの感想を参照しつつ)推測している次第である。
その後、徐々に人びとはこの新たな状況に慣れ、食料支援の現場や買い物帰りの場面などで注意を払うようになったと聞いている。7月現在、知人たちの外出する頻度は3月~4月当時と比べて増加しているが、買い物を落ち着いてできるようになっているそうだ。ただし、その後も経済活動は落ち込んだまま感染リスクは上昇しており、要望がある際には、わたしは知人たちに少しずつお金を送金し続けている。
- ^ 4月以降、徐々に活性化していった教会組織やNGOによる食料支援の際も、こうした人の繋がりを介して、かなりの範囲に救援食料は広がったのではないか、と想像している。しかしもちろん、総じて見ると、スラムにおいて、各家庭の食料とお金の蓄えが絶対的に足りていない状況が続いていると言えよう。