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食料確保への模索(ポコットの場合)
自身の食料確保の懸念が払しょくされた一方で、わたしが非常に心配していたのは、ポコットへの食料供給が止まらないか?ということであった。わたしと付き合いのあったバリンゴ郡のポコットの人びとは、家畜を売って得た現金で、トウモロコシ粉や砂糖、野菜などを買い、家畜から搾るミルクとともに主な食事としている。もちろん、このうちの購入食料はこの地域で生産されたものではなく、南方の都市からのトラック輸送で運ばれてきたものである。そして、このトラック輸送は、ナクルという大都市から北上する1本のルートに基本的に依存していた。もしも、このたった1本の輸送ルートが、何らかの影響で警察や軍などに閉鎖された場合、ポコットへの食料供給は突如不安定になる。過去数年間でこうした輸送路封鎖が何度かあったがゆえに1)、コロナ感染拡大の展開次第で、この輸送ルートが遮断されてしまう可能性が、たやすく想定された。
この懸念に関しては、2020年3月上旬からホストファミリーの父に相談していた。父はポコット社会のなかで何らかの立場があるわけではないのだが、小さな食料雑貨店を営んでいた経験があることや、食料輸送に係わる人脈があること、バリンゴ郡北部の3つの町近くそれぞれに妻のホームステッド(家とその敷地)があり、3つの町とその周辺の地域の食料供給事情に詳しいことなどから、相談するには適任だと思われた。父に依頼して各種の手配を進めた結果、3月下旬時点で、南方の大都市ナクルからポコットの2つの町へ、1袋90㎏の粒トウモロコシを計100袋送ることができていた。トウモロコシさえあれば、通常より早い3月下旬から雨季の雨が降りはじめていたポコットでは、家畜からのミルク搾乳量が増えはじめるため、少なくとも飢えることはない。
トウモロコシの手配をはじめた3月の時点では、この食料は、「あげる」のか、「交換する」のか、「売る」のか、いつ誰にどうやって渡すのか、わたしは特に決めていなかった。支援食料として配布する必要があるのか、人びとが現金を得られない際に、ポコットの人びとに有利なレートで家畜と物々交換するのがよいのか、あるいは、食料品店とほぼ同様の金額で売却して、売上で更なるトウモロコシを購入して供給を安定させるほうが良いのか、まだ不明瞭な状況だったのである。
3月から7月まで、ポコットへの通常の食料供給は、ある程度細くなりはしたものの、さいわい継続はしていた。4月以降、全国の公の家畜市は閉じられてしまったが、都市からの家畜商人が、山のなかでの家畜の闇取引を精力的におこなったため、ポコットの経済は動いていたのである。そのため、父とわたしのトウモロコシ供給が、人びとの需要を満たすのに貢献したのか、あるいは、通常の食料供給を担うポコットの食料品店の収入に損害を与えたのか、7月の現時点では判断が難しい。
このトウモロコシは、結局、ホストファミリーの父が元値に少しだけ上乗せし、通常の食料品店の値段より少しだけお得な値段で、ポコットの人びとに売却した。通常の食料供給がある程度細くなっていたため、トウモロコシへの需要は高まっており、父は薄利多売で、トラック輸送を合計7回手配し、トウモロコシを合計90㎏×360袋、主に他の食料供給者の手が届きにくい地域にまで輸送した。6月中旬頃から通常の食料供給が3月以前の規模まで復活しはじめ、7月上旬から公の家畜市が再開し、都市間移動制限が解除されたことを受けて、父はこの輸送作業を7月上旬に停止した。
結局のところ、7月の現時点までは、ポコットではある程度経済が動き、食料供給が維持されていた。「通常の」貧困状態にあった人びとは、相変わらず苦しい生活をしていたが、バリンゴ郡のポコットにおいて、コロナによる食料確保への影響はそれほどなかった、と結論付けられそうであった。
- ^ 隣接民族との抗争の際に、道を通過する車が他民族集団に攻撃されたり、民族間の家畜略奪の取締りと、家畜略奪者出身民族への制裁のために、軍や警察が軍事行動を展開したりした事例がある。