3 / 5ページ
そしてロックダウンへ
3月16日、首相は国民に対し「可能なら」自宅勤務をすること、体調不良の場合は自宅待機し、特にパブなど人の集まる場所は避けること、などを求める声明を出した。この時点ではまだ外出「禁止」ではなかったが、非常事態であるという認識は着々と広がっていた。
フランス・ドイツがロックダウンを発表した直後の、3月18日の正午頃。大学から「本日18時をもって建物を閉鎖する。明日から我々はオンラインへ完全移行する」とのメールが入った。すでにその頃には不穏な空気をひしひしと感じており、研究に必要な文献は出来るだけ借り出していたが、こんなにも唐突に閉鎖されるとは思っていなかった。大慌てで旅行用のスーツケースを引っ張り出し、まだ借りられていなかった文献を上限いっぱいまで借りて、重いスーツケースを引きずりヨロヨロと家へ戻ったのが同日の夜である。そして23日にイギリス政府が正式にロックダウンを発表し、長い引きこもり生活が始まったのだった。
NHSを守れ
イギリス政府のメッセージはシンプルだった。“STAY HOME (家に居ろ)”、 “PROTECT THE NHS(NHSを守れ)”、 “SAVE LIVES(命を救え)”である。NHSとはイギリスの医療の根幹となる国民皆保険制度National Health Service(国民保健サービス)の通称だ。ロンドンオリンピック開会式でNHSが取り上げられたことをご記憶の方もいるかもしれないが、それほどに、公平な医療を保障する本制度はイギリスの誇りの一つだ。しかし実際には、イギリスの医療は医師不足によりコロナ以前から危機的状況にあった。この頃他国の悲惨な状況を目の当たりにしていたイギリスでは、脆弱な医療制度を守り医療崩壊を防ぐことが何よりも重要だと認識されるようになっていた。上記の三つのメッセージは、人々が家に居て感染拡大を防ぐことによりNHSが守られ、多くの人々の命を救うことになるという意味が込められていた。
ロックダウン下の社会① 不安と団結
ロックダウン下では必需品の買い出しや運動目的以外の外出は一切禁止され、不必要な外出には警察権力が介入できることとなった。食品・生活用品店以外の全ての商業施設は閉鎖された。メディアは医療現場の奮闘を伝える一方でイタリアやスペインの悲惨さを報じ、我々も2週間後にはこうなるのだ、と黙示録のように繰り返した。交通量はがくんと減り、常には観光客でごった返すロンドン中心部にも、まばらな人影しか見られなくなった。
冒頭に述べた通り、ロンドンではすれ違いざまにニッコリ微笑んでくれる人が多い。しかしロックダウン直後のその頃、買い出しのために外出した際に筆者が感じたのは、他人と目を合わすのも避けるようにうつむいて足早に歩く人が多かったということだ。路上で休憩していたバスの運転手が、たまたま近くを通った歩行者に「近づくな!」と怒鳴ったのを見たこともある。コロナ禍の不安の中、いつもはロンドンの路上で他人同士がすれ違う際によく見られる愛想の良さは、消えてしまったようだった。
しかしこの非常事態はまた、反対の効果ももたらしたようにも感じられた。イギリスは2016年以来のEU離脱問題で長く揉め続けてきたし、その他の問題も絡んで政治不信の人も多い。しかしロックダウン後、医療従事者を讃えるために毎週木曜日の夜8時に窓を開けて拍手する取り組みが始まったり、女王がウィンザー城から国民に向けてビデオメッセージを発したり、また政府が「NHSナイチンゲール病院」の建設を発表したりする中で、失われていた一体感のようなものが再生する雰囲気もあった。 “solidarity (社会的連帯)” という言葉が様々な場面で繰り返され、政府が募ったNHSボランティア(NHSの物資を運搬したり、自己隔離中の人々の状況を電話でチェックしたり食糧や薬を届けるなど、医療活動以外でNHSをサポートする様々な活動を行う)には当初目標とされた2万5千人を遥かに超える7万5千人が応じた。また、現役を退いていた多くの医師や看護師が呼びかけに応じて現場に戻ったことが報じられた。まるで戦時下のようであるが、イギリスの人々が持つ団結力のようなものが現出したのも、ロックダウン初期の社会の一側面である。