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国内で最初の新型コロナウイルスの感染者が報告されたのは、3月8日の事であった。イタリアから帰国したバングラデシュ人が3名PCR検査で陽性となり、その日からは日々状況が変化していった。まず、外国人への入国制限が厳しくなりはじめ、在バングラデシュ日本人の間でも毎日のように情報交換が行われるようになった。3月中旬ごろからは、アライバルビザの発給停止を皮切りに、72時間以内に取得したCOVID-19陰性証明書の提出が義務づけられるようになり、国境をまたぐ移動が大きく制限されるようになった。そして、最終的に3月21日から、バングラデシュの空港は原則国際便の乗り入れを禁止した。例外的に在バングラデシュ中国人が中国へ、在中国バングラデシュ人がバングラデシュへ帰国する為の中国便のみが、平常時よりは便数を減らして運航していた。その後しばらくして、その他の国のチャーター機も運航されるようになった。
3.強固なロックダウンの4月
3月25日、翌26日はバングラデシュ独立記念日を控える中、ロックダウンがバングラデシュ全土で開始された。ロックダウンにより、全ての公共交通機関並びに自家用車での往来が禁止、夜18時以降の外出が禁止、青果品市場や食料品を置くスーパー、薬局、病院以外の施設は、政府機関を含めて閉鎖された。もちろん、全ての教育機関、会社、工場も閉鎖し、経済活動が大きく制限された。私の生活の危機管理の意識が最も高かったのもこの時期であった。できるだけ外出しない、買い物はまとめ買いをする、近所に住んでいる友人とも会わない。当たり前ではあるが、自粛生活を徹底して過ごしていた。市場で野菜を買うこと、門番(バングラデシュの都市部にはアパートごとに門番がいる)との日常的なやりとり、ゴミ出しなど、全ての行動に気が張ったし、全神経を使って気を配っていた。家に引きこもり、静かに生活を送る毎日であった。それは、周りも同様であり、ダッカのアパートの前にある小さなスラムの住人、門番、市場の商人、リクシャ(三輪自転車、日本でいう人力車に自転車がついたもの)引きといった低所得層の人びとに至るまで、1枚約15~50BDT(約20~65円)するマスクの着用や、200mlで約150BDT(約170円)する消毒ジェルの使用を心掛けていたし、普段路上でたむろしている人びとの姿がみられなくなっていた。時々買い出しの為に外出すると、門番や近所の低所得者層の人びとから、マスクや消毒ジェルを分けてほしいというお願いをされ、私の手持ちを少しずつ分けてあげたりしていた。低所得者層の人びとに関しては、布マスクだけでなく、不織布の使い捨てマスクであっても何度も同じものを使用している様子が見受けられた。