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3月12日(国内感染者数21件)、カラーチーからラーホールに戻った。ラーホールの空港に着いて、あらかじめアプリで予約しておいた登録制タクシーに乗り込んだ。ラーホールではM先生のお宅(I大の構内にある宿舎)に泊まらせていただいた。運転手に行き先を告げると、「I大に行くのか?あそこはコロナが出たって噂だぞ」と言われた。同時に、運転手はWhatsApp(チャットアプリ)で友人から送られてきたという音声データ(ウルドゥー語)を聞かせてくれた。あるタクシードライバーの証言のようなもので、「客を乗せてI大に行ったときに救急車が出てくるのを見た、あそこに近づいてはならない」と言っていた。道中インターネットを使って調べると、どうやらフェイクニュースのようであった。
I大のM先生宅に着くと、M先生の妻Nに迎えられた。タクシードライバーにI大で新型コロナウイルスが流行っているという話をされたと言うと、「それはフェイクニュースね。トルコに研修に行っていた学生が帰ってきたんだけど、彼らはみんな検査の結果陰性だったのよ。」と言っていた。しかし、I大で新型コロナウイルスが流行しているという噂は広まっていたようで、後日大学のホームページに「本学では新型コロナウイルスの患者は発生していません」との旨が記されていた。
急に深刻度が増した新型コロナウイルス
3月15日(国内感染者数53件)より、パンジャーブ州の全教育機関が閉鎖されることになった。当時は4月までの措置であったものの、結局9月現在になってようやく教育機関が再開されつつある状況である。その後も細かな用事があったため、私は変わらずラーホールに滞在していた。この頃は感染状況を注視しつつも、外出は特に控えていなかった。ただ、マスクは必ず着用するようにしていた。M先生ご一家も、外出を控えている様子はなかった。
しかし、その週の中盤に差し掛かったあたりで、急激に新型コロナウイルスの感染者数が増加し、それにつれて国内の雰囲気がガラッと変わったように感じた。街に出るたびにマスクを着用する人の数が増えていっているのがわかったし、手指の消毒薬には相場の2、3倍の金額が付されていた。マスクはすでに手に入らない状況にあった。そんななかで、私にとって印象的だったのは、M先生の妻Nとのやりとりであった。
3月19日(国内感染者数454件)、私は調査村へ帰る前に食料品の買い出しをするため、近くのショッピングモールに出かけようとしていた。しかし、外に出かける前にNに相談すると、ショッピングモールのようないろいろな人が来ている場所は感染の危険性があると説得された。結局私はショッピングモールへゆくことを諦め、大学内の売店で買い物を済ませたのであるが、数日前まで普通に出かけていたNが外出に対する態度を急激に変えたことに驚かされた。そして、それほどまでに、新型コロナウイルスの感染拡大はパキスタン国内に恐怖やパニックを引き起こしているのだと感じた。