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対岸の火事から現実へ
大きく状況が動いたのは、3月初旬のことであった。2月末にパキスタン国内で最初の感染者が確認され、その後パキスタンの各州にて次第に感染者が増加していったのである。ちょうどそのころ、私はJICA主催のフォーラムに出席するため、とある出張先から、さらに空路で2時間かけて、スィンド州の州都であるカラーチーへ行く予定があった。
3月5日(国内感染者数5件)、空港のあるラーホールへ向かうため、村の前の道を通るローカル・バスに乗りこんだ。バス停まで村の友人K(22歳未婚女性)の兄Oとその母Eに付き添ってもらって、チケットを購入した(1座席300ルピー、日本円で210円ほどのところ、荷物が多かったために2座席分購入した)。普段ラーホールへ向かう際には、カウンターパートの先生の車に乗せていただいていたが、今回は予定が合わなかったため、ローカル・バスを利用した。ローカル・バスを利用したのは今回が初めてであった。バスは村々を回って乗客を乗せていくため、ラーホールまで5時間ほどかかる。
道中、見た目で外国人であるということを悟られないように服装に気を遣った。目にはサングラスをかけて、身体がすっぽりとおさまる大きなショール(チャーダル)を頭から腰に掛けて纏った。さらにその布の端で鼻から下を覆って(ナカーブ)、顔が完全に隠れるようにした。そのおかげで、他の乗客の視線を集めることもなく、快適に過ごすことができた。普段から、近隣の町のバーザール(伝統的な市場)へ行くときにはこのような方法で身体を覆っているが、この時は特に新型コロナウイルスについて人々の関心が高まりつつある時期であったため、トラブルを避けたいという気持ちが強く働いていたように思う。
3月8日(国内感染者数7件)、ラーホールから出張先へ向かった。出張先での用務を終え、3月11日(国内感染者数20件)、出張先の空港からカラーチーに向けて飛行機に乗り込んだ。空港及び機内では、マスクをしている人もちらほら見かけられた。私はマスクこそ着用していたものの(日本から掃除用に持参したN95マスクが役に立った)、先述のバス移動の時のように特に服装に気を遣っていたわけではなかった。一応スカーフで髪の毛は覆っていたが(イスラームが支配的な地域では、宗教的な教義に基づいて女性が頭髪を隠すことが法的に定められている国もあるが、パキスタンには女性が頭髪を隠すことの法的義務はなく、スカーフで頭を覆っている人もいれば覆っていない人もいる)、サングラスは着用していなかったため、一目見て外国人だとわかる外見であった。
機内に入って、座席を確認して座ろうとしたとき、後ろの席の男性が携帯電話で話しているのが見えた(パキスタンにおいて、離陸前や着陸後の機内において携帯電話で通話する光景は珍しくない)。彼は私の方を見て、電話口の相手にウルドゥー語でこう話した。「どうしよう、前に中国人の女の子が座っている。もうアッラーに委ねるしかない。なんだかコロナの臭いがする気がする。」これを聞いて、私は思わず笑ってしまった。彼は私の国籍も知らなければ、私がウルドゥー語を解することも知らない。そして「コロナの臭い」という謎の存在まで創り出してしまったのである。この時はむしろ不愉快に思うよりも、やみくもにウイルスを恐れる彼を気の毒に思った。
空港ではマスクをしている人がちらほらと見られたものの、カラーチーの市内ではマスクをしている人はあまり多くなかった。JICAフォーラムの後、昼食会に参加させていただいていると、参加者の方に話しかけられた。簡単な自己紹介をして、談笑していると、唐突に「あなたたちはどのような肉を食べるのか?」と聞かれた。なんとなく質問の意図を察しつつも、「なぜそんなことを聞くんですか?」と尋ねると、「だってコロナは食べ物が原因で発生したんでしょう」と言われた。私はどうしたものか、と思いつつ「そういうことは言わない方が良いですよ」と一言だけ返してその場を去った。
このような食についての質問は、新型コロナウイルスの発生前にもされることはあったが、感染拡大後に特に頻繁に聞かれるようになったように感じる。その中には、「あなたたちは何の肉を食べるのか」「中国人は何を食べているのか?」「日本人も中国人のようになんでも食べるのか?」などの質問が含まれる。おそらくその背景には、動物が新型コロナウイルスの感染源であるとの報道がなされたこと、そしてそれらの動物を食することはイスラームのなかでハラーム(禁忌)であるということなど、様々な要素が存在しているのであろう。私はこのような質問をされるたびにどのような返答をしてよいものか迷い、そして時には腹立つ思いを抱えてきた。