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感染拡大以前のパキスタン
2019年12月18日、日本に一時帰国をして、翌年1月22日にパキスタンへ戻った。この時は、パキスタン国内での旅行を予定していた母も同行した。日本でも感染者が出始めた時期であったので、私も母も飛行機移動の際はマスクを着用していた。ラーホールの空港に着くと、パスポートチェックの前に非接触型の体温計で体温を測られる。どうやらこの時テレビ・クルーが待ち構えていたらしく、体温測定をされる私と母の様子がパキスタンのニュース番組で流れたそうだ。
1月末の時点では、パキスタン国内でマスクをしている人はほとんどおらず、母を連れてラーホール、ムルターン、サヒーワール、そして調査村を回ったときも、道行く人から何か言われることはなかった。母は意識的にマスクを着用していたが、私の場合はマスクに関して特に気を配った覚えはない。母を日本へ送り出してすぐの頃、日本からの友人一家を案内しているときには、若干ではあるが、すれ違いざまに言葉を投げかけられた。普段の「チーン・チョーン(中国語の響きをまねた言葉で、東アジア系の顔立ちの人物をからかう時に用いられる)」という言葉ではなく、明らかに新型コロナウイルスの感染拡大を意識した発言であった。2月初旬のことである。
2月9日、私は一人で再び調査村に戻った。調査村は、パンジャーブ州の州都であるラーホールから北東160キロメートルの場所にある。高速道路を抜けた先が悪路のため、車で3時間、道が混んでいる場合は5、6時間ほどかかることもある。新型コロナウイルスについてはニュース番組で連日報じられていたものの、この時点ではパキスタンの感染者数は0であり、村の人々の関心は薄かった。それよりも、会う人会う人から村を訪れた私の母について尋ねられた。