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帰国の決断と脱出劇
上記のように細やかな対策をしているように見えていたものの、感染者数は爆発的に増加してしまった。2020年2月19日の最初の感染者発表からわずか5日で100人近くの感染者が確認され、1週間後にはテヘランとギーラーンの感染症危険度がレベル3に上げられてしまった。経済制裁の影響で医薬品が不足しているという指摘もあり、残念ながら死亡率も他国と比べて高いものであった。その後も毎日100人単位で感染者が増え、商用機も運行を停止するものが多くなっていった。このままでは出国できなくなる可能性が高いとみた私は、とうとう帰国を1ヶ月早めることを決意した。ちなみに出国した3月8日にはすでに国内の感染者の合計が5800人、死者数が145人を数えるという凄まじい状況になっていた。
帰国を決断し、チケットを取る時は複雑な心境に押しつぶされそうだった。対米関係悪化の影響と、更に新型コロナウイルスの感染拡大によって、危険レベルが上げられてからというもの、大学や両親、そして現地の大使館からひっきりなしに来る連絡が、私を追い詰めていた。カタール航空の日時変更可のオープンチケットにしていたにもかかわらず、オンラインでは既に変更不可能になっていたことも更に悩ましいことであった。当時、既にコロナウイルスの影響で便が減り、価格が高騰していたのである。片道の料金を見ると、20万円を超えるまでになっていた。試しにカタール航空のテヘラン支局に電話をかけても、当然のことながら繋がらなかった。友人の話によれば、行列に並ぶという習慣のないイランであるにもかかわらず、早朝から並ばなければならないほど人が殺到しているとのことだった。カタール航空で帰ることは諦め、払い戻し手続きをして別の会社の便を予約することにした。席が空いているという情報があったのは、イラン国内のサイトからしか予約ができないマハーン航空のみであった。マハーン航空は件の革命防衛隊が株を持っている会社で、経済制裁の影響を直に受けていたため、イラン国内からしか予約ができないというからくりである。日本への直通便は大手の航空会社を含め一つもないので、いずれにせよ乗り継ぎや乗り換えが必須であった。マハーン航空でタイまで乗り、タイ航空の関西空港行きを予約した。タイでのトランジットでは、異なる会社の飛行機であったため、外に出ることができない上に23時間と長時間の滞在を余儀なくされた。帰国後、耳にした話だが、私が乗った飛行機の便を最後に、イランからのほとんどの国際便は運行が停止してしまったという。まさに脱出劇のような体験であった。
イランの生活様式の変化とこれから
今回の新型コロナウイルスの流行下で、イランの生活様式は大きく変わってしまったように思われる。大勢の客人を家に招き、食事や談笑をすることが最大の楽しみである人々にとって、制限された状況は非常に苦しいものであるに違いない。特に、イラン暦では3月下旬に新年を迎え、例年は盛大に祝うものの、今年は当然のことながら祝賀ムードもなかったと言われている。
2020年7月現在、イランにおける新規感染者数は、ある程度の数を保ったままの傾向が続いている。経済制裁の影響により医薬品は十分な数を確保できていないため、終息には困難を伴うであろうし、先行きは極めて不透明である。イラン人は海外に家族を持つ人が多いため、こうした人々は家族とも次いつ会えるか、現状ではわからないままである。普段はインターネットでコミュニケーションを取りつつ、直接会うということも可能であった。しかし、物理的に遮断されてしまった中で、インターネットの限界も感じられているのではないか。
新型コロナウイルスの影響で人々の生活様式が変わった、あるいはこれから更に変化していくことは、ある意味で1979年の革命後に生活がイスラーム化した衝撃と重なるかもしれない。研究者としては興味が尽きないが、一個人としてはイランに1日でも明るい光が差し込むことを心から願うばかりである。