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マハレは都市部から離れた場所なので、すぐに帰国できるわけではない。翌日1日かけて帰国の準備をして21日の朝にマハレを出ると、最速で乗れる国際線は23日発の便になる。在タンザニア日本大使館からの情報では、この時点でタンザニア国内での感染者はまだ6人で、タンザニア政府も特別何か移動の規制などをするという発表はしていなかった。しかし、私の利用する予定のカタール航空はこの日、26日以降の全便欠航を決定していた。大使館関係者や企業関係者も次々と帰国し始めていたらしい。
この時、16日にマハレを出たMさんがまだタンザニアに滞在中だった。Mさんは、Iさんからの連絡を受け、私がメールを確認するのが遅れる可能性を見越して、先回りして私の帰国便の手配をしてくださっていた。そのおかげで私は大変スムーズに帰国の準備を進めることができたし、無事に帰国便のチケットを手に入れることができた。しかし、もし一歩遅ければ、帰国便が取れないという可能性もあっただろう。
3月21日:マハレを出て、キゴマへ
帰国の準備を終え、朝にNさんと二人でマハレを出発した。マハレから帰るには、まずは国内線の飛行機に乗るためにキゴマというタンザニア西部の地方都市までボートと車で移動する。途中に大きな川があり、大きな渡し船で車や人を運ぶのだが、そこに白衣を着た人がいて検温が行われていた。手を洗うための消毒液も設置されていて、そこで手を洗うように言われた。二人とも健康だったので問題なく通過したが、もし熱があったらその場で足止めされていたのだろうか……。
キゴマでは、市場のいたるところに手洗い場(石鹸+水の入ったタンク)が設置されていた。アジア人である私は、コロナヘイトで暴力とか振るわれたらどうしよう、という不安があったが、時々からかうように「手を洗いなよ」と声を掛けられる程度で、特に嫌な思いをすることはなかった。むしろキゴマの人たちは「日本人か?今から帰るのか?飛行機あるの?大丈夫?日本はコロナで危ないから帰るのはやめたら?」と心配してくれるなど、温かく接してくれた。ホテルでも、特別変わったことはなかった。タンザニア国内でも徐々に感染者が増えている状況だったが、キゴマでは感染者が出ていなかったためか、そこまでコロナに対する危機感はなかったように思う。
一方で、この日タンザニア東海岸のザンジバルでは、ザンジバル革命政府によってインバウンド便の受け入れ停止が行われ、島内のホテル500軒近くの閉鎖が決定されたらしい。ザンジバルは外国人にも人気の観光地で、既に数人の感染者が報告されていた。なお、ザンジバルとは、タンザニア本土の東に位置するザンジバル諸島の地域名で、タンザニアに属するがザンジバル革命政府によって自治が行われている。
3月22日:キゴマを出て、ダルエスサラームへ
キゴマの空港では検温が行われていただけだった。到着地のダルエスサラームの空港にはマスクを着けている人が数人いたが、私を含めてほとんどの人はマスクも着けず、特に変わった様子はなかった。次は、国際線の空港のあるダルエスサラームという都市に国内線で移動する。ダルエスサラームはタンザニアで最も大きい都市である。
ダルエスサラームについてから時間があったので、ショッピングモールに行って少し買い物をしたり、昼食を食べたりした。そこは海辺のきれいなモールで、普段は欧米人が多くいる印象があったのだが、この日は欧米人がほとんどおらず、アラブ系と思われる人が少しいる程度だった。観光客がいなくなっていたのだろう。