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新型コロナ、静かな訪れ
このまま書き続けるとただの調査記になってしまうので、新型コロナの話をしよう。カメルーンにおける新型コロナウイルス感染拡大は2020年3月6日、約2週間前より首都ヤウンデに滞在していた フランス人の陽性報告に端を発す(BBC News Afrique. 2020年3月6日記事. https://www.bbc.com/afrique/region-51767655)。このニュースに触れた人々の反応は「ついにカメルーンにも来たか」という感じだった。当時すでに、新型ウイルスのアジアおよび欧州への拡大はカメルーン国内でも話題になっており、インターネット環境のあるステーションのスタッフはもちろん、村の人々の間にも、ラジオなどを聞いてか、情報はいつのまにか広まっていた 。
それとともに、村では誤った情報や過度な噂も聞こえるようになった。「とても危険な病らしい」「かかったら絶対死ぬんだろ」「息が出来なくなるのか」「センザンコウを食うとかかるのか」「災厄をもたらすのはいつもフランス人だ」などという話を、村の小さな食堂や民家の軒先で耳にした記憶がある。とはいえ人々は特に大騒ぎすることもなく、「こんな遠く離れた森のなかまで、病気はやって来ないよ」「コロナが来たって私たちには森の薬がある」と、まさに対岸の火事といった様子だった。
私自身はといえば、感染がじわじわと広がりつつあった日本にいる家族や同僚のことが少し気がかりだったが、正直言ってインフルエンザと大差ないと思っていたし、首都から700キロ以上離れたこの村までコロナが来るとは考えてなかった。そして、当時私はプロジェクトの重要な研究の1つ、総調査域3400平方キロメートル――およそ鳥取県の面積に相当する――の自動撮影カメラ広域調査を、日本とカメルーンの共同チームを率いて進めているところであり、調査を無事に成功させることを最優先に考えていた。一斉休校、マスク不足、欧州都市のロックダウン。色々なニュースをネットでしばらく斜め読みしては、すぐに仕事にもどっていた。
村から最も近い――といっても未舗装路を80キロメートル、車で3時間かかる――街であるヨカドゥマ市に出れば、アジア人である私を見た人々から「コロナ、コロナ」とからかわれることもあった。しかしそれも、それまでの「ニーハオ」が「コロナ」に代わっただけで、私たちを本気で憎み、危害を加えようとするものではないと思えた。顔見知りのガソリンスタンドのおばちゃんも、「おまえらがコロナをもってくるんだろ」と私をからかった。私が「そうなのかな。あれ…… ゴホッゴホ!」と冗談でわざと、彼女に対して咳き込んだ。おばちゃんは一瞬後ずさりしながらも、「こいつ、私をからかって」と笑みを返してくれ、お互いに笑いあうことができた。東部州ではまだ、新型コロナ問題は自分たちの世界の出来事ではなかったのだ。
国境閉鎖
事態が急転したのは3月17日のことだ。政府が翌日からの国境閉鎖、国内移動の制限、学校などの休校などを含む、13の措置を発表した(カメルーン共和国 首相官邸ウェブサイト.https://www.spm.gov.cm/site/?q=en/content/government-response-strategy-coronavirus-pandemic-covid-19)。このころ既に欧州では、イタリアを中心とした感染爆発と都市のロックダウンが開始され始めていた。しかしカメルーン国内の陽性者は公式発表によるとまだ10人で、それほど深刻な拡大を示しているとは考えられず、この段階での国境閉鎖は多くの外国人にとって予想外だったと思う。感染が爆発的に拡大した際に、カメルーンのぜい弱な医療体制では治療が追い付かない、と政府が早期に判断したのかもしれないが、私たちは突如としてカメルーンに閉じ込められてしまったわけだ。
時をほぼ同じくして、京都大学とJICAから、私のような長期派遣専門家 を除いた日本人短期出張者に対して、すぐに連絡が取れるところに出て待機するよう、指示が出された。当時、私たちの研究チームには数名の日本人研究者と日本・カメルーン両国の大学院生が、公道から離れた森林内で、狩猟採集民の人類学調査や動物生態学調査を行っていた。