4 / 4ページ
感染の拡大
さて、初期対応に一貫性こそなかったものの、結果的には国内で感染拡大が進む前にかなり厳しい措置をとったエジプトだが、様々な要因から人々の緊張感も次第に緩んでいくことになった。5月にかけてゆっくりとだが着実に感染数が増加したことが、このことを裏打ちしている。空路封鎖が始まった時期では1日の新規感染者数がほぼ50人に満たない状況であったのが、4月末にはおよそ250人にまで増加した。また、筆者が実際に見たところでは、政府が外出禁止の開始時間を当初の19時から20時、21時と次第に遅らせたことに伴い、日中の人出も確実に戻っていったように窺われた。一度厳しい措置を取った上でそれを少しでも緩めると、人々に気の緩みが生じるのは自然なことだろう。政府が対策の長期的な見通しを打ち出していなかったこともあり、外出禁止の緩和が政府からの言外のメッセージと人々に受け取られたとしても無理はない。
そして、5月からはいよいよ感染拡大が加速し、5月末には1日の新規感染者数が1500人にも上った。この最大の要因として挙げられるのが、4月24日から5月23日までの断食月(ラマダーン)である。イスラーム教徒が人口の9割以上を占めるエジプトにおいて、毎年の断食月には集団礼拝や地元での親族の集まりなど、人の移動や集団行動が他の時期よりも増加する。しかし、人々の不満を抑えるためか政府は感染拡大の深刻化が見込まれる今年の断食月について、特段新しい措置を打ち出さなかったばかりか、夜間外出禁止の開始を21時にまで遅らせるなど、むしろ措置を若干緩和させた。このような政府の対応もあってか、実際に新規感染者数は5月の後半からうなぎ上りに増えており、断食月が感染拡大に影響したことが推察される。一方で、筆者の身の回りでは、通りを埋め尽くして行なわれる集団礼拝やレストランで日没を今か今かと待つ人々など、例年当たり前だった光景は全く見られなかった。断食月の風景もコロナ禍では完全に異なり、イスラーム教徒ではない身としてもかなり寂しく感じてしまうほどだった。
こうして5月に本格的な感染拡大を迎えてしまったエジプトだが、実際にはここが感染拡大のピークであり、その後はほぼ1か月間、毎日の新規感染者が1500人前後で推移し、7月に入ると減少しておよそ1000人を下回るようになって7月20日現在に至る。この推移について評価することはここでは避けるが、5月の感染拡大を踏まえた政府の方針と人々の行動の変化は興味深いものであった。まず、政府は5月24日からの5月29日までの断食明け祝祭の連休を危険視し、夜間外出禁止の開始時刻を17時と大幅に早め、また県境をまたぐ移動を禁止するなどの強めの措置を打ち出した。この頃には既に新規感染者数が急増しており、人々の間にも危機感が共有されていたように感じられた。日中の人通りも断食月中よりはかなり減ったように見受けられた。例年ならば連休を利用して遠出していた筆者も、今年は家から出ずに過ごすことになった。
封鎖の解除
しかし、連休後の6月になると、新規感染者数は減っていないにもかかわらず、またしても政府は一転して緩和措置を立て続けに実施し始めた。官民の屋内施設でのマスク着用こそ義務化されたものの、夜間外出禁止の開始時刻は再び20時にまで遅らされ、ショッピングモールも再開した。このころから政府は「コロナとの共生」をスローガンとして打ち出し、遂に6月27日からは夜間外出禁止の解除と宗教施設の開放、レストラン、カフェ、映画館、運動施設などの再開に踏み切り、7月1日には空路封鎖を解除して、観光客も受け入れることにした。結果的には空路封鎖前より新規感染者数が数百倍に膨らんだ時点で空路封鎖を解除したことになるが、空路封鎖以前の消極的な姿勢も踏まえて考えると、ここまで方針が大胆かつ急に二転三転した国は珍しいのではないだろうか。
これらの緩和方針によって、人々の行動も大きく変化した。日中の人通りや交通量もより一層増加したが、なにより夜間外出禁止の解除によって夜間に賑やかさと騒がしさが戻ってきた。深夜になっても鳴り響くクラクションの大合奏を聞くと、再びこの状態に戻ってしまったかとうんざりさせられる一方、どこか懐かしさを感じたことも否定できない。良くも悪くも、この喧騒がエジプトの本来の姿であることは間違いない。再開したレストランなどにも人が戻りつつあり、席数が少ない店では満席になっている店もいくつか見られた。収束には程遠い現状に対して人々の危機感は千差万別だが、ここまでの反動もあってか元の生活に戻ることを選択した人も多いように見られた。
これほど経済活動の再開に向けて政府も社会も舵を切ったとはいえ、もちろん全てが元通りとはいかない。レストランやカフェなどは収容人数の25%以下を守るように決められているだけでなく、22時には店を閉めることとされ、さらに後者の措置については、コロナ禍に関係なく今後恒久的な措置となるという。人々の反発は必至で、この点については今後見直しの可能性も低くないと考えているが、少なくとも店舗経営の在り方をめぐる議論は長期化することは疑いないだろう。街中を歩けば9割ほどの人が炎天下でマスクをしている光景も、以前から考えれば想像もつかないほど違和感のあるものだ。
また、筆者の研究生活に話を戻せば、エジプト国立公文書館は7月になっても開くことはなく、空路封鎖以降は一度も利用できないままに筆者自身も7月4日に日本に帰国することになった。今後はどうなるか、エジプトのみならず世界的にも見通しも立たないが、感染拡大も収束しているとは言い難い現状では、文書館での調査は当分望めそうにない。文書館もオンラインでの史料公開を進めるという報道があったものの、実際には機能しない検索フォームが新設された程度である。デリバリー販売の事例と対照的に、コロナ禍以前から史料公開の体制が整っていなかったことが大きく影響しているかたちだ。フィールド・ワーク再開のためにも、月並みながら筆者もコロナ禍の世界的な終息を願ってやまない。
(本稿はJSPS科研費19J13736 による研究成果の一部である。)