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もう一つ人々の生活を大きく変えたのが、商業店舗をめぐる一連の措置である。閉鎖の対象となったレストランやカフェだけでなく、衣料品店などでも休業するところは少なくなかった。薬局やスーパーはほぼ全てが営業していたが、特にスーパーは入り口での検温や消毒、店員のマスクと手袋着用といった措置が広く見られ、(これは世界的な動向であるが)店内には見慣れない光景が広がっていた。また、銀行やボーダフォンのようなキャリアショップでは、店内の長時間の密集を避けるため、整理番号が呼ばれるまで店外で待機することが求められており、炎天下の通りに人だかりができるという奇妙な光景も見られた。
エジプトに特徴的な点として、デリバリー販売をめぐる動きが挙げられる。エジプトはコロナ禍以前からデリバリー先進国であり、庶民的な店から高級店まで殆どの店がデリバリーの体制を整えていた。そのため、商業店舗は閉鎖されたものの、その大半はデリバリーで営業を続けており、さらには夜間外出禁止の時間帯もデリバリーは可能という状態であった。デリバリーの費用は無料か少額で、デリバリー用のアプリも普及しており、さらにスーパーや薬局にも注文が可能とあって、筆者の巣ごもり中も買い物については大きな不便は生じなかった。この点においては、エジプトは多くの先進国よりもコロナ禍にスムーズに対応できたといえる。
また、筆者にとって予想外の変化だったのは、コロナ・ハラスメントがピタリと止んだことである。街に出る若者の数が減ったことも影響しているだろうが、それを差し引いて考えてもこの変化はあまりに顕著であった。エジプト人にとっても、コロナ禍は差し迫ったものとなり、「からかい」のネタとしては忌避されるようになったのだろうか。そもそもこのような行ないをしていた人々の考えに全く同意できないため、この変化についても未だに十分に理解することはできていない。
封鎖下の研究生活
当然のことながら、筆者の研究生活もコロナ禍の影響を強く受けることとなった。筆者は空路封鎖後もエジプトに残ることとなったが、これは封鎖直前に緊急帰国することが困難であっただけでなく、空路封鎖発表後も調査地である文書館は開いており、かつその時点では感染者数も日本より少なかったためであった。文書館には未だに閲覧・筆写できていない史料が残っていたのである。しかし、無情にも数日後には文書館も閉鎖となり、結果的に帰国するまでには二度と文書館を利用することはできなかった。
こうして文書館での調査が不可能となってしまったため、筆者も巣ごもり生活を送ることとなった。上述の通りデリバリーが非常に安価かつ便利であり、かつエジプトのアパートは非常に広いものばかりであるため、外国人が巣ごもり生活を送る環境としては世界的に見てもエジプトは恵まれていた方で、筆者もその恩恵に与ったと感じている。日々の研究時間の多くはこれまでにエジプトで取集した史料の整理・読解に充てつつ、エジプト人のアラビア語教師に史料の講読も行なってもらった。しかし、この講読にしてもオンラインでの実施に変更されたため、フィールドでしかできない研究活動というものはなくなってしまった。一方で、生活にメリハリをつけるためにエジプトから日本の所属先のゼミにオンライン参加することになり、エジプトにいながらフィールドよりも日本と繋がっている奇妙な生活になってしまった。こういった状況を見ても、コロナ禍がもたらした変化の大きさと特異性を思い知らされる。