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しかし、3月中旬になって政府の対応は一変する。この時期、筆者は日本から来た友人をアスワンに案内していた。コロナ・ハラスメントの息抜きにと決行した小旅行であったが、アスワンでもハラスメントから逃れることはできず、むしろその頻度が増えて辟易していた。そんな最中、3月16日にエジプト政府が突如、3月19日からエジプトの全ての空路を封鎖すると発表した。これまでの政府の態度や実際の感染者数を見ても、ここまで急に積極的な措置に方針転換するとは想像できなかった(全国的な休校措置など、布石もなかったわけではないが)。突然の発表に慌ててアスワンからカイロに戻る飛行機を予約し、友人の日本への帰国便も確保した。ホテル内にいた他の観光客も皆混乱しており、翌日のアスワン-カイロ便も落ち着かない様子の人々で満席となっていた。
封鎖下のエジプト
当初の発表では空路封鎖は2週間の予定とされたが、ここまで急激な方針転換をしたからには、そのような短期間で措置が終わると見込めないことは明らかであった。実際に、空路封鎖は6月30日まで3か月以上にわたって続くことになる。ここからは立て続けに様々な措置が発表された。カフェや飲食店、宗教施設や観光地が閉鎖となり、海岸も立ち入り禁止になるなど、集団感染の対策がとられたほか、夜間外出禁止令が出され、感染爆発が起きた地域の一時的な封鎖も行なわれたようである。
中でも街の様子を一変させたのが、夜間外出禁止令であった。終日外出禁止令に踏み切ったようなヨルダンなどの周辺国と比べれば軽い措置とはいえ、その影響の大きさは一目瞭然であった。エジプトでは夜型の生活スタイルが一般的で、カフェやレストランも深夜まで開いていることが珍しくなかった。しかし、人の声や自動車の騒音で賑やかな深夜の様子は、一変して静寂極まるものになり、時折野犬の鳴き声が響くだけになった。夜間外出禁止の影響はそれ以外の時間にも及んでおり、日中でさえ交通量は目に見えて減少した。この影響でカイロでは大気汚染が改善したとの報道もあったが、実際にこの状況下で生活していると、それは極めて自然なこととして理解できた。