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帰国、そしてその後
その後、すでに述べた通り「総動員」令は繰り返し延長されていき、4月6日から開始した在外レバノン人の帰還事業によるものを除き、国外との行き来は不可能な状況が続いた。ところが4月16日になって大使館から、カタール航空の臨時便で帰国できる可能性があるとの連絡があった。ビザの期限が近付いていること、どうやら当分「総動員」令が解除される見込みは薄いことなどから、帰国の希望を伝えた。その後しばらく実際の帰国の便は確定しなかったものの、5月初頭には帰国の便が出ることになり、4月末にアシュラフィーエの自宅を引き払って西ベイルートのハムラー地区のホテルに移った。数か月ぶりに訪れたこの地区では多くの店舗が休業、もしくは廃業しており、ひどく物寂しい雰囲気になっていた。その一方で、時間に厳しい制限はあったものの、ちょうどこの時期に飲食店の営業が可能になったため、暗い街並みの中で一軒だけ開いていたバーに入り、最後の一日だけだが久しぶりに見知らぬ酔客同士で雑談を交わすことができた。残念ながら筆者の帰国後、経済状況、特に通貨危機は深刻化するばかりで、一時は1ドル=10000LBPにまで達したと伝えられている。また、4月の後半には一桁前半に抑えられていた1日の新規感染者数が、7月の半ばに入ってから平均70人と急増していることから、今後経済活動に一層制約がかかることが予想される。なかなか明るい見通しは得られないが、何とか政治と経済の安定を取り戻してほしいと願うばかりである。