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このような制約はあったものの、日常生活に必要な物資の確保という点では、後述するように重大な留保はあるものの、レバノン滞在中特に苦労することはなかった。地方都市やベイルート内でも離れた地区の状況はよくわからないが、筆者の暮らしていた地区では、生鮮食料品もトイレットペーパーや洗剤などの日用雑貨も、「総動員」令発動直後に若干品薄感はあったもののすぐに解消し、その後は安定して入手可能だった。多くのスーパーや商店ではソーシャルディスタンシングが導入され、レジの前に数メートルおきに床にテープが貼られて、一定の距離を保って並ぶように指示されていた。そのほか、すでに述べたように外食は禁止されていたが、パンやお菓子のテイクアウトは可能だったし、多くのレストランはZomatoなどの宅配サービスを利用して食事を楽しむことができた。また、医薬品やマスクも薬局で問題なく購入可能だった。ただし、レバノンでは2019年後半から通貨の下落が続いており、物資の多くを輸入に頼るこの国の物価は急速に上昇していた。特に3月7日に債務不履行となってからレートは急激に悪化し、赴任時には1ドル約1500LBP(レバノンポンド)だったのが、5月頭に帰国するころには3200LBPとなっていた。そのため、ドルを日本から持ち込んで暮らしている筆者のような外国人と異なり、レバノン人の一般市民の多くにとっては、いくら物資が並んでいても気軽に購入できない状況になっていたと思われる。直接確認はできなかったが、貧困層の多い地域では物価高騰の影響はより深刻だったはずである。
このように経済危機のさなかでコロナ問題に直面したレバノンでは、保健省によるウイルス感染者の検査・隔離体制の確立に比べて、市民への経済的支援が貧弱であるように見えた。ディアーブ内閣の保健大臣のハマド・ハサンは、シーア派政党のヒズブッラーがその地位に指名した人物であり、彼のコロナ対策に党の医者、看護師や病院を動員して支援していると報道されていた。それがどの程度うまく機能したのか、筆者にははっきりとはわからないものの、3月の後半をピークに4月に入ると明確に鎮静化の傾向を見せた。それに対して経済的支援については、少ない予算ながら貧困家庭への食糧の配給といった対策は取られていたものの、一般のメディアでもSNS上でも、不満が多々見られた。特に後者では、伝統的な政治エリートが支援の割り当てで支持者に便宜を図ることにより、かえってその影響力が強化されるのではないか、といった懸念が表明されており、興味深かった。
また、この時期に印象的だった出来事として、コロナ対策とは直接関係ないのだが、政府によるダウンタウンの殉教者広場とその隣の駐車場のテント村撤去がある。これは昨年10月に始まった「革命」における市民団体の抗議運動の拠点の一つとして、たびたび反対勢力による破壊に遭いながらも建て直され、時には集会や議論の場として、また時にはフリーマーケットやアート・フェスティバルの会場として利用されてきた(写真1、2)。しかし、「総動員」令発動後は人影もめっきり少なくなり、抗議運動の低迷を象徴している感さえあった。それが3月の終わりになって、「革命の拳」などいくつかのオブジェを除き、警察によってすべて撤去されてしまったのである。この決定がどのように下されたのかわからないが、これからコロナ対策で市民の協力が必要となっていくときに、コロナ問題を利用するような形で、このような強硬策を取る必要はなかったのではないか。オブジェが寂しくたつ広場やその隣の駐車場を呆然と歩きながら、そう感じた(写真3)。